コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 レッド・パージを生き抜いた男   Text by 木全公彦
秩父事件
『マタギ』ポスター

『桃太郎の海鷲』
続いて野村の名前が確認できるのは、『秩父事件 絹と民権』(1984年)という47分のドキュメンタリー映画の監督としてである。製作会社は『マタギ』(1982年、後藤俊夫監督)や『さくら』(1994年、神山征二郎監督)で知られる青銅プロダクション。1966年に設立されたが、数年前に解散したと聞いた。

『秩父事件 絹と民権』は自由民権運動百年を記念して作られた作品で、監修に大村英之助の名があるのが目を引く。大村は、石本統吉、厚木たか、水木荘也ら名だたる記録映画監督や持永只仁らアニメーション作家を輩出した芸術映画社の創設者で、石本統吉の記録映画『雪國』(1939年)、瀬尾光世の長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』(1942年)などを製作したプロデューサーでもある。戦後は1961年に持永只仁、松本酉三とともに、人形アニメの会社「MOMプロダクション」設立。同年、MOMプロに岡本忠成も参加。ここで数多くのアメリカTV放映用人形アニメーションを製作している。1964年には、北朝鮮を取材した宮島義勇が監督した記録映画『チョンリマ(千里馬)』を、ぬやまひろし(西沢隆二)、松本酉三と共同で製作――といったように、大村英之助は日本の記録映画界とアニメーション映画界に大きな足跡を残したプロデューサーなのである。大村自身、戦前の東大在籍時代に日本共産党に入党し、何度も逮捕歴があり、戦後も党員であったようだから、大映をレッド・パージされた野村企鋒とはどこかでつながったのだろう。もしかしたらこの時点でもまだ野村が共産党員であった可能性もある。

秩父事件は、1884年に埼玉県秩父郡の農民が秩父困民党を組織して、政府に対して起こした武装蜂起事件。『秩父事件 絹と民権』は、この蜂起を描いた記録映画らしい。「らしい」というのは、キネマ旬報には決算号に1984年11月24日公開という記録は載っているが、ほかの情報が一切載っておらず、ウェブ上をいくらググってもそれ以上の情報が出てこないことによる。キネ旬のその年の文化映画ベストテンに誰も票を入れていないのだ。ただし埼玉県立図書館およびさいたま市図書館には、それぞれ16ミリの上映プリントが所蔵されているらしく、県立図書館の所蔵リストの解説によると、「明治の前半期を鮮やかに彩った自由民権運動。秩父事件の背景となる明治10年代を解明しながら、秩父事件の内実にせまろうとする」となっている。

野村企鋒の情報はここでプッツリ消える。亡くなったとの情報はない。願わくば、この一文が妻と二人の娘を抱えてレッド・パージとその後の時代を生き抜いた映画監督の空白を埋める一助になれば幸いである。