コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 レッド・パージを生き抜いた男   Text by 木全公彦
尊属殺人
こうして何の予備知識なしに見た『真昼の惨劇』という映画は、この日参集した映画獣たちに重く暗い衝撃を与えることになった。だが本当の衝撃は、この映画は実話を基にした作品であり、映画が公開されるわずか2か月前に起きた尊属殺人をそのままほとんど実際の事件どおりに映画化したものと知ったことだった。

事件が起きたのは1958年6月15日。日雇い人夫として働く父は酒乱で、実際にはほとんど働かず、わずかな金が入ると酒を飲み、そのたびに暴れては母に暴力を振った。母と長女が稼ぐわずかな金のほとんどは父の飲み代に消え、一家はその日の食べ物にも事欠くありさまだった。夫の暴力がひどくてこのままでは殺されてしまうと感じた妻は自殺を決意して睡眠薬を持って家出。事件はその翌日起こる。16歳の姉と13歳の妹は、こんな父さえいなければ幸せになれると、泥酔し寝込んだ父を絞め殺し自首した。姉は尊属殺人の疑いで逮捕、妹も警察に保護された。姉は家裁に送致されたが、情状が認められ、殺人事件、それも尊属殺人としては異例の保護処分の裁定がなされた。

この事件は16歳と13歳の姉妹が実父を殺すという異様な事件であったため、事件直後から新聞・雑誌などのマスメディアでは競うようにこの事件を取り上げた。そして最初はラジオドラマとして、次で映画として製作されたのが本作である。ちなみに映画の公開は同年8月24日。手持ちのプレスシートには、右肩の松竹マークの下に「明るく楽しい松竹映画」と書いてあるのが、まるでなにかの冗談のようだ。

同時に事件そのものに対しては減刑嘆願運動が起こり、家族への見舞金も寄せられた。国会でもアルコール問題が取り上げられ、この事件を契機として「酔っ払い防止法」(正式名「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」)が1961年5月19日に市川房江ら衆参婦人議員懇親会のメンバーによる議員立法として成立した。

近年は、この法律は女性議員が中心として作られた法律であることから、2001年に成立したDV(ドメスティック・バイオレンス)法の先駆を成すものとして、フェミニズムの立場から再検討されているようだが、本稿はあくまで映画のコラムであるから、この『真昼の惨劇』を作った野村企鋒なる監督に焦点を合わせて、話を進めることにする。