コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 続・合作映画の企画   Text by 木全公彦
キング兄弟が日本で見たであろう『ゴジラ』(54)に触発されて、イギリスで着ぐるみのよる怪獣映画『怪獣ゴルゴ』(61)をユージン・ルーリー監督によって製作したことはすでに述べた「ある日米合作映画の企画」

ユージン・ルーリーあるいはウジェーヌ・ルリエ
そのときに書き忘れたので補足しておこう。『怪獣ゴルゴ』の監督ユージン・ルーリー(またはルージーン・ロウリー、ユージーン・ローリーなど多数の表記あり)の代表作といえば、映画史上初のアトミック・モンスター映画『原子怪獣現わる』(53)がよく知られており、レイ・ハリーハウゼンの本格的デビュー作になったこの作品こそが、『ゴジラ』の原型になったという説がある。

ルーリーは、1903年ウクライナのハイコフに生まれ、映画界でのキャリアはフランスでウジェーヌ・ルリエの名(フランス語読み)で美術監督になったことから始まる。美術監督としての代表作に、ジャン・ルノワール『大いなる幻影』(37)、『獣人』(38)、『ゲームの規則』(39)、チャップリン『ライムライト』(52)、サミュエル・フラー『ショック集団』(63)、『裸のキッス』(64)などがあり、アンドリュー・マートン『地球は壊滅する』(65)、ケン・アナキン『バルジ大作戦』(65)、ロバート・シオドマク『カスター将軍』(67)、クリント・イーストウッド『ブロンコビリー』(80)、さらにテレビシリーズ『燃えよ!カンフー』(72―75)なども担当し、こう書きだしただけでも、単にグローバルに活躍しただけでなく、人脈も仕事の幅も多岐にわたって広いことが分かる。
その彼がなぜ監督としては『原子怪獣現わる』や『怪獣ゴルゴ』のような怪獣映画専科になったのかは、彼が1985年に上梓した「My Work in Films」に書かれているかも知れないが、残念ながら未読。誰か邦訳してくれないかしらん。

ともあれ、ユージン・ルーリーに限らず、ヨーロッパの著名なキャメラマンや美術監督がアメリカに亡命し、監督も手がけるとき、ボリス・カウフマンにしろ、ルドルフ・マテにしろ、ロバート(ロベール)・フローレーにしろ、ニコラス・ローグにしろ(ローグはアメリカに亡命した人ではないが)、ほとんどが怪奇映画やSF映画を監督しているのは大いなる謎ではある。