コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 続・合作映画の企画   Text by 木全公彦
再び吉田喜重について~『女たちの遠い夏』〈その3〉
『女たちの遠い夏』の脚色は吉田喜重自身の手による。小説よりもはるかに現在時制と過去時制を交互に行き来し、ときには現在時制のエジンバラにいる悦子が過去時制の長崎にいる悦子を同一空間の中で見降ろす場面もある。現在時制では、長女の自死をきっかけにして、亡きイギリス人の夫との間に生まれた次女・ニキが家に戻ってきており、彼女はイギリス人ジャーナリストの恋人の子を宿している。原爆への言及は原作よりも直截的で、悦子は長崎で被爆し、自殺した長女はその影響下にあったことが語られる。さらに佐和子の愛人であるアメリカ人GIの描写も原作より詳しい。鏡や日傘など吉田喜重好みの小道具を要所に挟みこむ使い方の妙はもちろん健在だが、驚くのは脚本に指定してある楽曲とその使い方である。
導入部には、エジンバラにある家の二階の部屋から、プッチーニの「蝶々夫人」のレコードがかかっていて、第一幕の終わりで歌われる「ああ、甘い夜、たくさんの星!」が聞こえ、ベッドに寝そべりながら雑誌を読むニキの場面が映し出される。レコードを止めるように言う悦子にニキは「『蝶々夫人』がどうしていけないの。長崎を思い出すから?」と尋ねる。劇中で、過去時制の長崎で流れる音楽はシナリオ上では「流行歌」とだけ指定されているのに、現在時制には「トスカ」も使われるが、映画のラストは再び「蝶々夫人」で締めくくられる。第二幕、バタフライがわが子を抱きしめて歌う「聴いてください、わたしの悲しい歌を」である。

吉田喜重作品といえば、晦渋さや重苦しさのイメージがあるが、もしこれが映画化されていたら、吉田喜重の最高傑作になったのではないかと予感させるほど、原作の精神を生かしながら、映画的に再構成しつつ、晦渋さや謎めいた要素がほとんどなく、それでいて吉田喜重でしかありえない、透徹した完成度の高い脚本で正直驚いた。そして、この作品がオペラ『マダム・バタフライ』と地続きであることを示しながら、結局は製作が土壇場で中止になったことで、これが『鏡の女たち』へと形を変えて変奏されたことがよく分かる脚本になっている。果たして、吉田喜重の脳裏には田中好子がどの時点でキャスティングとして浮上したのか。

さらに驚くことは、カズオ・イシグロの描く日本は、5歳のときに渡英したので、彼が子供のときに過ごした記憶の中の長崎であり、彼が日本文学よりも小津安二郎や成瀬巳喜男の日本映画に影響されたと語る日本像であることである。それをなぞるように、カズオ・イシグロは、2000年に発表した第5作「わたしたちが孤児だったころ」で、適齢期の娘と父のふたり暮しという設定の中で、娘の名前を「紀子」としている。
一方の吉田は、この企画が土壇場で流れてしまった翌年、自身が小津の亡くなった年に合わせるように60歳になるのを待って、「小津安二郎の反映画」という本を上梓する。