海外版DVDを見てみた 第33回 マルグリット・デュラス、彼女はなぜ映画を撮ったのか(3) Text by 吉田広明
『セザレ』と『陰画の手』
『トラック』は、空間そのものが移動する映画であったが、移動はその後作られる三つの短編にも見られる。『セザレ』(79)、『陰画の手』(79)、『オーレリア・シュタイナー(メルボルン)』(79)。前二者は『船舶ナイト号』(79)から派生した作品で、『船舶ナイト号』は、深夜のまちがい電話で知り合った男女が恋のようなものを感じ、会おうとするが結局会うに至らないという物語を、オフの声でデュラスとブノワ・ジャコが語るものとして構想されたが、その撮影は頓挫して一旦白紙に戻され、パリの風景、メイクする俳優たち、黒板に書かれたシナリオなどの映像にオフの声が流れるものになった(筆者未見、以上の記述は河出書房新社『愛と狂気の作家』の当該作品解説から)。電話というものが元々声だけを伝えるものとして既にズレを組み込んでいるものであることがこの映画の失敗を招いたのではないかと思うが、それはともかく、この作品で使われなかったパリを映したフィルムから『セザレ』と『陰画の手』は作られた(『セザレ』『陰画の手』『オーレリア・シュタイナー』メルボルン篇ヴァンクーヴァー篇は一枚のディスクに収められてフランスでDVDが出たが現在廃盤、ただしYoutubeなどで検索してみれば見られるものもある)。

『セザレ』の彫像

『セザレ』の彫像2

書籍『ベレニス』ラシーヌ著

『陰画の手』早朝の人影

『陰画の手』のパリ路上
『セザレ』では、コンコルド広場やチュイルリー宮の彫像やオベリスクなどを移動しつつ、あるいは固定カメラで捉えた映像に、ジャン・ラシーヌの『ベレニス』の物語(ローマ皇帝ティテュスと愛し合い、彼によってローマに連れてこられたパレスチナ女王ベレニスが、異国人との結婚を許さないローマの掟によって故郷へ返される物語。セザレはパレスチナの地名)を語るデュラス自身のオフの声が重なる。とは言えベレニスの名も、ティテュスの名も語られはしない。彼らの物語は誰のものでもない物語になる。これもデュラス的な固有名の非人称化、誰のものでもない「記憶」なのである。『陰画の手』でも、現在のパリと遥かなる過去が重ねられる。テクスト『陰画の手』の前置きによれば「南大西洋沿岸のヨーロッパにおける、マドレーヌ文化期の洞窟で発見された手たちの絵は陰画の手と呼ばれている」。手の輪郭を青、黒、時に赤の絵の具でなぞったものだというその手の痕跡は、それを残した者の呼びかけであり、「わたしはあなたを愛したい、わたしはあなたを愛すると叫ぶ」叫びなのだとデュラスは言う。それを残した者の存在が失われた後の痕跡。欠如こそがむしろ一層強く彼の存在を私たちの内に掻き立てるという逆説。ネガとしての映画(しかも洞窟なのだから、明らかにこれは映画館に映写される映画だ)の逆説をデュラスは強く信じている(しかしそれと相反する映画の力をも、デュラスの映画は発現している。これについては後述)。この映画では、夜明け前から夜明けに至るパリの街を車で移動しながら捉えた映像に、デュラスの声がオフで重ねられるが、その、街が目覚める前の路上には、道路を清掃する者たちの姿が映っている。彼らは移民たちであり、彼らは街が活気づくころには消えている。彼らもまた、『トラック』の老女と同じ「社会階級から脱落した」者たちなのだ。陰画の手を残した者の叫びは、また彼らの叫びでもあるだろう。しかしこの呼びかけに応える者はいるのだろうか。