海外版DVDを見てみた 第17回 ロバート・ヘイマーを見てみた Text by 吉田広明
『日曜日はいつも雨』ポスター
『日曜日はいつも雨』
『ピンクの紐と封蝋』に続き、グーギー・ウィザース主演で撮られた『日曜日はいつも雨』It Always Rains On Sunday(未、47)は、以前取り上げている『私は逃亡者』『十月の男』『ブライトン・ロック』などと並んでイギリス・ノワールのメルクマール(と筆者が思う)47年の作品。ここでウィザースは下層階級の一家の後妻である。亭主は十五歳年上、継娘が二人、自分の息子が一人いる。グズグズと雨が降ったりやんだりのと或る日曜、ウィザースは夫が読んでいる新聞のある記事に動揺する。監獄から男が脱走したというのだが、その男は、かつて彼女が結婚を約束した男だったのだ。その脱獄囚が彼女の家にやってくる。家を出たり入ったりする家族の目を何とかごまかしながら、彼女は彼を匿うのだが、彼女がかつて脱獄囚のガールフレンドだったと嗅ぎつけた新聞記者によって、彼の存在は知られ、逃げ出した男はいずれ捕まり、ウィザースはガス自殺を図る。

一応ウィザースと脱獄囚の物語が主筋ではあるが、家族のそれぞれの描写にも多くが割かれており、当時の下層階級の群像劇のようでもある。長女はレコード店の店主にして地元のパブでジャズ・バンドのサックス吹きをしている男に、歌手にしてもらう目論みで近づいているのだが、そのことに気づいている妻に別れを切り出されてうろたえた男に捨てられる。次女は実直な郵便配達の男と付き合っているのだが、ゲーム・センターを経営している羽振りのいい男に仕事を世話してらおうとして恋人にたしなめられる。長男(小学校上級生くらい)は、姉がレコード店の店主とキスしているのを目撃、口止め料として欲しかったハーモニカを強請り取る。ガキですら脅迫にいそしむ環境であるわけだ。こうしたとある日曜の出来事を描きつつ、カメラはフラット前の道路を定期的に映し出す。時間は確かに刻々と過ぎてはいるが、変わらない風景。退屈な日常を象徴するかのようである。

日常のウィザースは家事をこなしながら(日曜とはいえ、どれほど多くの家事があることか)、男を夫婦の寝室に入れて休ませ、食事させ、服を乾かし、とせっせと面倒をみる。昔の情熱がよみがえりかける。過去の二人のいきさつは、その日曜の朝、鏡に向かって身づくろいをするウィザースの回想によって語られるが、パブの女給であるウィザースがレジに向かっていると、その鏡に入ってくる男が映り込む。二人は鏡の中で同じ空間を共有する。というか、その中でしか共有できない。ウィザースにとって美しい過去は鏡の中に封印されたままであり、そして恐らくそのまま封じられていた方が良かったのだ。逃走資金に、と、昔彼からもらった指輪(結婚の約束をした指輪だ)を差し出しても、男にはまったく見覚えが無いありさまだ。彼女はその約束を信じ待っていたにもかかわらず。そして遂に新聞記者にその存在を知られた時、逃げようとした男は、止めようとする彼女を殴り倒して逃げ出す。幻滅した彼女は自殺しようとし、しかし救われる。ラストは病院のベッドに横たわる彼女と夫のしみじみした会話で終わり、とりあえずハッピー・エンドではあるものの、恐らく長女は、継母と同じような過ちを繰り返しかねない女であり、見通しが明るいわけでは少しもない。