海外版DVDを見てみた 第10回『ロイ・ベイカー『十月の男』を見てみた』 Text by 吉田広明
アメリカ映画におけるフィルム・ノワールのメルクマールとなる年は、フリッツ・ラング『飾窓の女』や、ビリー・ワイルダー『深夜の告白』などが発表された1944年とされるが、イギリスにおけるそれは1947年ということになるだろう。前回取り上げたカヴァルカンティ『私は逃亡者』(また前回言及したキャロル・リードの『邪魔者を消せ』)も1947年である。とはいえ、アメリカにおける44年も、ノワールの古典とされる作品が発表された年というだけで、この年に特別な何かがあったわけではなく、イギリスにおける47年も同様だ。なおかつアメリカの44年はどのノワール解説書にも載っているような共通了解となっているが、イギリスの47年はまだそうした位置には至っていない。しかしこの年に注目すべき、現在の目から見てノワールとみなしうる優れた犯罪映画が続々発表されたことは確かであり、そのことは前回、今回、また以後あるいは取り上げる作品によって明らかになるかと思う。  ともあれ、今回取り上げる『十月の男』The October manも47年度の作品。監督のロイ・ベイカーにとっては初の長編劇映画となる。まず、ロイ・ベイカーとは、いかなる監督なのかを概説する(BFIのサイトなどを参照)

ロイ・ウォード・ベイカー
ロイ・ウォード・ベイカーは1916年ロンドン生まれ。無線が好きで、30年代にゲインズボロー・フィルムズに入ったが、当初は音声の仕事を望んでいたという。当時ゲインズボローに所属していたヒッチコックの『バルカン超特急』(38)、同作とよく似たシチュエーションの物語であるキャロル・リード『ミュンヘンへの夜行列車』(40)の助監督についている。その後戦争中は陸軍の映画局に所属、兵教育映画を撮っていたが、その際の上司がエリック・アンブラー。「あるスパイへの墓碑銘」(38)、「ディミトリオスの棺」(39)で知られるスパイ小説家であり、後者は(これもまた)44年にアメリカで、ジーン・ネグレスコ監督により『仮面の男』として映画化されている。

戦後、映画界に復帰したベイカーを、エリック・アンブラーは自身の脚本、製作でデビューさせる(アンブラーが製作した映画はこの一本のみ)。それがベイカーの処女作『十月の男』である。数作を経た後、沈没した潜水艦の中で救いを待つ乗組員を描いた『暁の出港』(50)を撮るが、完成直後に実際に似たような事件が起き、ベイカー自身はお蔵入りも覚悟していたものの、海軍は上映を許可、この話題性もあり、映画は大ヒットする(ただしこのヒットには当然映画の質も関与している。後述)。このヒットはダリル・ザナックの注目するところとなり、アメリカに招かれて二〇世紀フォックスでサスペンスないしスリラー三本を撮る(『ノックは無用』52、『眠りなき夜』Night without sleep、52、『地獄の対決』Inferno、53)。

その後イギリスに帰り、アーサー・ランク配給になる数々の映画を撮るが、特にタイタニック号沈没を描いた映画の中でも最良とされる『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(58)が有名。その後スパイアクションTVシリーズ『アベンジャーズ(放送題、おしゃれマル秘探偵)』、『ザ・セイント』も演出。さらにその後ハマー・フィルムでSF、ホラーを多数演出(『火星人地球大襲撃』67、『血のエクソシズム/ドラキュラの復活』70、『ジキル博士とハイド嬢』71など)。日本ではこうしたハマー諸作でこそ知られている作家かもしれない(これらSF、ホラー作については本稿は言及しない)。もっぱらジャンル映画のみを撮り、アメリカに渡っても、たった三作でイギリスに帰ってきたことから分かるように、作家的あるいは商業的な野心もさらさらなく、ひたすら職人に徹した監督である。実際作品を見ると、無理やり派手に盛り上げようとせず、淡々と描写を重ねてゆく演出法によって、非常に端正で上品な印象を受ける。