コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 近藤明男が語る三隅研次・増村保造のことほか   Text by 木全公彦
木村元保さんとの出会い
――近藤さんは結局早稲田を卒業されてから、大映には正式に社員として入社されたんですか。

近藤しました。勝プロか勅使河原プロかという選択肢もあったんだけど、大映が試験をするというので、受験しました。大卒23人入って、そのうち僕を含めて3人が撮影所に行った。バイトで3本やったせいで、井上芳夫さんがやっていた『ザ・ガードマン』で20本ぐらい助監督をやりました。徹夜続きで慢性的な人材不足でした。それから松坂慶子が出た『夜の診察室』(71年、帯盛廸彦監督)とか。

――増村さんがフリーになってからの最初の作品が先ほどの名前が出た『音楽』で、その失敗のあと木村元保さんとの出会いで『大地の子守歌』と『曽根崎心中』で起死回生する。(「木村元保さんのこと」参照)

近藤僕は『大地の子守歌』の原作を読んで、増村さんが撮るにふさわしいものだとは思えなかったんだけど、まあ大映末期の『遊び』(71年)がちょっとこれにつながるかなという感じでしたが、原田美枝子もがんばってなかなかいい作品になりました。

――原田さんみたいにあまり映画経験がない新人、宇崎さんみたいに全くの異分野の人で素人という人たちを増村さんはどのように演出されるんでしょう。

近藤やや手取り足取り風ですかね。何から何までじゃないけど。『曽根崎心中』の現場では宇崎さん堂々とやっているように見えました。それは増村さんの腕じゃないかな。芝居をどう切り取っていくかとか。あの映画はやるまで時間がかかった。本当は『大地の子守歌』のすぐあとに撮りたかったんだけど、なかなかできなかった。

――木村さんはどなたの紹介ですか。

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近藤東京映画の矢吹さんという照明部の人。その人が藤井さんに紹介して。『泥の河』(81年、小栗康平監督)のときかな。矢吹さんの意見で『泥の河』はラストを変えさせたって。

――『大地の子守歌』も『曽根崎心中』も、木村さんがお金を出しているわけですよね。鉄工所をやって溜めたポケットマネーで。

近藤そう。行動社はお金がないから人だけ出した。あとから木村さんが自主映画界の著名人だと知りました。それこそ「東の木村、西の高林(陽一)」だったんでしょ。木村さんの家に行くと、クレーンや移動車まで持っていました。それで出たがりで。『曽根崎心中』にも出ていますね。変な人だなあと。

――出番がないときでもプロデューサーですから現場には来ているんですか。

近藤そうでもない。四谷には立派な事務所がありましたけど。

――増村さんの映画に惚れ込んでいるというワケでもない?

近藤いやそりゃもうおそらく増村さんの映画なんか見たこともないのかもしれない。ただ作りたいだけの人なんだから。