コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 近藤明男が語る三隅研次・増村保造のことほか   Text by 木全公彦
勅使河原宏と勝新太郎
--その次が勅使河原(宏)さんの『燃えつきた地図』(68年)ですか。

近藤いや、その前に増村さんの『妻二人』(67年)をやりました。『雪の喪章』と『妻二人』は無給でフォ-スをやって、よく動くよく働く助監督だということで、少しだけアルバイト料をいただいて勝プロと勅使河原プロの『燃えつきた地図』をやることになった。大学生を3人雇ったんです。その中で僕が2本やっていていちばんキャリアがあるということで、大学生のチーフとして、他のアルバイトのまとめ役みたいなことをやらされました。それが大学3年のとき。

――勝新太郎さんがのちに監督するようになっていちばん影響を受けたのが勅使河原さんだといいますね。

近藤それは勅使河原さんが大映にいないタイプだからでしょう。三隅さんや田中徳三さんなら、いつも組んでいるからやり口は知っている。だけど勅使河原さんには分からないところがある。そこに惹かれたんでしょう。

――勝さんはそのころから自分でアイデアを出したりされていたんですか。

近藤思いついたことをしゃべったりはしていたけど、それに執着してゴネたりすることはなかった。晩年の勝さんの性癖は大映が倒産して勝プロが本格的に活動するようになってからでしょう。勝さんは社長でもあり、プロデューサーでもあるから、みんなが遠慮する。それで勝さんもいい気になったんでしょう。だから黒澤さんの『影武者』(80年)でも降板事件を引き起こすことになってしまった。『やくざ絶唱』(70 年)でも勝さんは「これボソボソしゃべったらダメかな」と言ってセリフを言うと、すぐに増村さんは録音ブースに入ってセリフを聞いて「やっぱりダメ」だと。「もっとはっきり言ってくれ」と言う。すると勝さんは「いいと思うんだけどなあ。黒澤さんだったらいいと言うはずだ」と言うと、増村さんは「うん、俺、黒澤さんじゃないから」と。「雰囲気だけで分かるからさ」と勝さんが食い下がると、「雰囲気じゃダメ、はっきり分かるように言ってくれ」と言っていました。

――それは増村さんと勝さんらしいエピソードですね。勅使河原さんと増村さんの違いというと?

近藤増村さんはセットが大好きで、セットは増村さんが全部をコントロールしている実験室みたいでした。逆に勅使河原さんはロケが大好きで、そこで起こる偶然を巧みに取り込んでいく。さすがドキュメンタリー出身だけのことはある。おそらく三隅さんもロケよりはセットのほうが好きなんでしょう。撮影所育ちの人間にとって、撮影所はホームグラウンドで、ロケはアウェイという感じなんでしょうね。勅使河原さんにはついては、ある人に聞いた話ですが、たとえば舞台だと自分とは別に演出家がいて、その演出家のつけた演出にイエス/ノーを言いたいと勅使河原さんが言ったというんですね。だけど映画の場合、演出するのが監督の仕事なんだから、それはできないですよね。そういう不思議な感覚の人。その点でも増村さんとは正反対。でも同じ撮影所育ちでも増村さんはどんな作品でも、たとえ失敗作であっても増村さんの徴はすぐ分かりますね。それだけ個性が強い。三隅さんはそれほど強烈ではない。その違いはあります。