コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 映画と読みのお話   Text by 木全公彦
『薔薇合戦』の場合
『薔薇合戦』(1950年)の場合はどうか。「映畫讀本 成瀬巳喜男」はいろいろと問題のある本だと思っているし、データにも間違いがかなりある。幾多の批判はそのとおりだと思う部分も多いが、あまりに悪口ばかり聞こえてきて正直ムッとしている。欠点を補ってあまりある貴重な基本情報や蘊蓄が満載だと思うが、中でもできる限り特殊な読み方をする題名に関してはルビを振ったことは、後続の活字資料で成瀬のフィルモを作る際、そのまま鵜呑みでルビを振った人も多いとお見受けするがいかがものか。その中で気になることがある。上梓直後にルビを付けなかった『薔薇合戦』が“ばらがっせん”と読むのではないと直感めいたものが働いたことだ。それで田中さんに「もしかしたらこれは“しょうびかっせん”と読むんではないのか」と訊ねると、田中さんは「そうだね」と笑って頷いたが、結局ルビを振らなかったことを考えると、田中さんも確信はなかったのかと思う。そうこうしているうちに田中さんは亡くなってしまった。かくては自分で調べるしかない。

成瀬の『薔薇合戦』の原作は丹羽文雄である。これまでに出版されたいずれの本にもルビはない。「丹羽文雄文学全集」第23巻(講談社、1975年刊)の表題や解題にもルビがない。今年になって出版された「丹羽文雄文藝事典」(秦昌弘・半田美小編著、和泉書院、2013年刊)の「薔薇合戦」の項目には“ばらかっせん”とある。そこで初出をあたってみる。映画化されたのは1950年だが、原作が発表されたのは、それよりかなり前の「都新聞」1937年5月30日から12月31日である。新聞には「しやうびかつせん」のルビが入っている。原作の読みがイコール映画の題名の読みでもあると考えていいが、前述したように例外もある。なにせ発表から13年も経っているのだ。古典や名作ならともかく戦前の流行小説なのだから、戦後になれば そのままではズレが目立ってしまう。内容もかなり大幅に改変してある。読み方も変えた可能性がある。ちなみに「薔薇合戦」を最初に映画化しようと試みたのは溝口健二である。

成瀬のメガホンで映画になったときの新聞広告は見つからなかった。映画雑誌を調べていくと、「映画ファン」と「近代映画」に“ばらかっせん”ないし“ばらがっせん”というルビが振ってあった。この映画のポスターは見たことがないが、一応、松竹の大谷図書館でポスターを探してみた。収蔵はしていないとのこと。しかし代わりに当時のプレスシートがあった。プレスには“薔薇”の部分にだけ“バラ”とカタカナでルビが振ってあった。とすると、下は“がっせん”と濁るはず。ならば原作は“しょうびかっせん”と読むのだが、成瀬の映画は“ばらがっせん”と読ませるんではないかという結論に達した。かくのごとく日本語は難しいのである。