コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『お荷物小荷物』とその時代 前篇   Text by 木全公彦
やはり『お荷物小荷物』のことを書いておくことにする。今よりもっと年をとって恍惚の人になってしまう前の備忘録代わりである。なぜなら、佐々木守脚本による、この伝説的テレビドラマは、番組を収録したビデオテープが貴重であった時代のスタジオドラマであったから、第1シーズン「沖縄篇」の最終回をかろうじて残すだけで、やりくり用として残りは全部マスターテープごと消されてしまい、もう見ることができないドラマだからだ。

「腸捻転」時代の朝日放送
「腸捻転」といっても、『赤西蠣太』で片岡千恵蔵が突如襲ってきた腹痛に耐えかねて、自ら腹かっさばいて治療してしまう下部内臓器の病気のことではなく、日本のテレビ史における東京キー局と地方局にねじれ現象のことだが、まずそれから始めよう。

1960年代に入り、テレビ業界の拡大化とともに、業界はキー局と全国紙新聞社との連携を強化するが、地方局もそれに出資する新聞社や東京のキー局の系列に入るようになる。だが、テレビ局(または親会社であるラジオ局)と新聞社の覇権争いもあって、朝日新聞社系企業の朝日放送が毎日新聞社系企業の東京放送(TBS、現:TBSテレビ)とネットワークを組み、逆に毎日系企業の毎日放送が朝日系企業の日本教育テレビ(NET、現:テレビ朝日)とネットワークを組むという、奇妙な捩じれ現象が起きた。テレビ局の管轄省庁である郵政省の当時大臣だった田中角栄が捩じれ解消に奔走した結果、結局双方のネットワークが入れ替わり、捩じれが解消したのが1975年3月31日のことである。以後、現在までその状態が続き、資本系列はやっと分かりやすくなった。しかし、テレビ史的にみれば、「腸捻転」の時代こそテレビの本当の黄金時代だったように思う。

『お荷物小荷物』が放映されていたのはそんな「腸捻転」時代のことである。朝日放送で制作され、TBS系列で1970年10月17日から1971年2月13日まで毎週土曜日夜10時から1時間枠で全18回放送された。“脱ドラマ”と称された型破りな手法は、回を追うごとに評判になり、視聴率もうなぎ上りに上昇。放送終了直前にはすでに好評につき、続篇が制作される予告があった。新シリーズは1971年12月4日から始まり、1972年4月15日に終了するまで全20回放送された。新シリーズには「カムイ篇」の副題がついているが、最初のシリーズには副題はなく、便宜上「沖縄篇」と呼ばれている。