コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『お荷物小荷物』とその時代 前篇   Text by 木全公彦
『日曜8時・笑っていただきます』のこと
ちょうどこの頃の朝日放送は野心的な番組をたくさん制作していた。“脱ドラマ”、または“バラエティとドラマの合体”した“バラマ”という呼称の、ヘンテコなドラマを次々とお茶の間に提供していたのである。『お荷物小荷物』と同時期に放送されて、話題になっていた“バラマ”に『日曜8時・笑っていただきます』というのがあった。『お荷物小荷物』同様、子供だった我々世代をも虜にしたゴダール風テイストの一例は、第1回から変化球の連続で視聴者の度胆を抜いた。

「堺正章が、丹阿弥谷津子の失くした指輪を探している。茶の間にテレビがあって、そのテレビのスイッチをポンと押すと、歌謡番組を放送中で、いしだあゆみが歌っている……と思うと、視聴者の見ているテレビから“ドラマ”が消えて、いつの間にか、いしだあゆみの歌っている画面になってしまう。/その歌が終わると、画面は再びドラマに戻り、いしだあゆみが、さっき歌っていたドレス姿で玄関に立っているー―というぐあいなのだ。/まだある。ドラマの途中で、ポカッとニュースが入る。/カメラがポンとTBSテレビ報道部の、汚い雑然とした部屋に切り変わると、取材デスクがこっちを向いて「明日のお天気は……」てなことをいっている。そこへドラマの出演者の一人である飯田蝶子がチョコチョコやってきて、ニュースに合いの手を入れる。/おわりに「こうやってみると、あんたはいい男だねェ」なんてアドリブらしきせりふをしゃべって、またトコトコと消える。と思うと、画面は再びドラマに戻るのである」(「週刊TVガイド」1970年11月6日号)。

日曜日の夜8時からはNHK大河ドラマ『樅の木は残った』を放映していたが、我が家ではこの『日曜8時・笑っていただきます』を見ており、どうやら世間もそうだったらしく、視聴率では難攻不落であったはずのNHK大河『樅の木は残った』をいとも簡単に抜いてしてしまう。出演者も圧倒的にバラエティに富んでいた。堺正章、丹阿弥谷津子、悠木千帆(のちの樹木希林)、藤村俊二、左とん平、和田アキ子、萩原健一、いしだあゆみ……。番組のプロデューサーは鴨下信一。明らかに当時若者たちに教祖的な人気があったゴダールや大島渚の手法を意識的に使っていた、と分かるのはこちらがもっと大人になってからで、ゴダールも渋谷系とやらでポップ路線で再利用されたり、映画は大して好きでもないくせにゴダールや大島渚になるとしゃしゃり出てくる通ぶったエセインテリが跋扈する90年代以降の風潮を思うと、お茶の間にまでゴダールや大島渚のパロディが当たり前のように存在した時代と、からっぽの今の映像メディアの時代の差に、思考はたどりついてしまい、なかなか感慨深いものがある。