コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『お荷物小荷物』とその時代 前篇   Text by 木全公彦
失われた番組だからこその伝説化
個人的な体験に則していえば、その翌年にATG系列で封切られた大島渚の最後のATG作品であり、彼の梁山泊でもあった創造社の最後の作品でもある『夏の妹』がリアルタイムで見た最初の大島作品であった。正直なところ、それは退屈きわまわりないもので、擦れ違いを繰り返す主人公たちはバカみたいに見えたし、青春映画としてもなんの感慨ももたらさなかった。そもそもその前作『儀式』のある一族の冠婚葬祭を定点観測するところからドラマを作るという発想は、大島が育った松竹の頂点に君臨していた小津安二郎の世界をそのまんまいただいたものだったように、『夏の妹』も松竹の得意とした擦れ違いメロドラマを青春映画の骨法にあてはめたものだったことは明らかで、そのことは公開当時からすでに多くの論者が指摘していることでもある。そんなことを知っていようが、知るまいが、アイドル映画と思って見に行ったわけではなかったけれども、やはり『夏の妹』の弛緩したあり様は、今見直しても残念というか、これが時代の空気として仕方がなかったという気さえしてしまう。

いずれにせよ、ガキの目には『お荷物小荷物』が返還前の沖縄というアクチュアルな題材を取り上げて、表現も斬新で、おもしろく、テレビドラマを破壊しながらも佐々木守のいうように優れてテレビ的であったのに対して、弛緩したようにしか感じられなかった『夏の妹』は、返還後の沖縄で撮られたと一点においても時代の先を行く大島がテレビに一歩先を越されたように思ったからかもしれず、あとから知るのだが当時沖縄に入れこんでいた竹中労にボロクソに批判されるものも、『夏の妹』がぬるい青春映画のパロディである以前に、漂白された観光地映画の残骸だったかもしれない。

もっとも『お荷物小荷物』のほうが有利であるのは、番組そのものがテープの消去によって、残っておらず、リアルタイムで見た記憶の中にしか再現することができないということがある。そして記憶は、それがどんなに正確で、間違いないものであっても、それにまとわりつく感情は飼いならされ、美化され、嘘をつく。実際、あれほど、当時は「突拍子もないぶっ飛びぶり」に驚き、おもしろがった『お荷物小荷物』の最終回を数年前に放送ライブラリーで再見したとき、確かに記憶どおりだったにもかかわらず、古臭さや泥臭さを全く感じなかったといえば嘘になるからである。

しかし、“ぬるさ”でいえば、今のテレビのほうがよほど“ぬるい”。テレビ局の製作外注化による空洞化、長引く不況による番組制作費も著しい低減、クレームやスポンサーの方ばかり見ていて視聴者の方を見ない番組作りなど、許認可行政にあぐらをかいて、テレビはかつて映画業界がたどった転落への道を急速にたどろうとしているようにみえる。実際、テレビショッピングや番宣ばかりに力を入れる今のテレビ業界に、『お荷物小荷物』のような野心的な番組を制作することができるだろうか。日米安保も北方領土問題も知らなかった子供にも、「沖縄」や「アイヌ」のことへの興味の目を開かせてくれる、それでいて毒に満ちた笑いのある番組があるのか。そう思うのも、この番組が残っていないからこそそう言えるんじゃないのか、と思ってみたりもするが、まあ、ありきたりの感想かもしれないが、テレビの時代も終わったということなんだろう。ノスタル爺の「むかしはよかった」という繰りごとではなく、実際、若者のテレビ離れも深刻のようだし。ああ、バベルの塔の崩壊と共同幻想の終焉。



――というわけで『お荷物小荷物 カムイ篇』については次回取り上げたい。