映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第44回 60年代日本映画からジャズを聴く その5 今回は豪華二本立てメニューでお届け!
石井輝男と八木正生の「再会」
さて、ここからが前々回の続き。八木正生の映画音楽仕事を取り上げているところであった。アルバム「八木正生の世界」(東宝ミュージック、ポリスター)に読めるインタビューは1978年に収録されたもの(インタビュアーは貝山知弘)。本人自身が、新東宝製作オムニバス映画『日本ロマンス旅行』(59)の「石井輝男監督篇」を最初の映画音楽だと明言している。同アルバムに掲載された八木正生〈映画音楽作品〉全リストも詳細で信頼できる(作成大場正敏、協力大塩一志)。これに拠れば、1959年から60年にかけて新東宝作品を中心に立て続けに映画音楽を手掛けている。
しかし、実は『日本ロマンス旅行』の「音楽」クレジットにはどうやら代表者(?)として渡辺宙明一人だけが記載されているらしい。そのためだと思うのだが著書「石井輝男映画魂」(石井輝男、福間健二、ワイズ出版刊)では証言に矛盾が生じている。正確には「二度目」の石井との対面となるはずの『恋と太陽とギャング』が「公式的には最初」の石井作品に数えられているためだ。これは前年リリースされ好評を博した『花と嵐とギャング』の姉妹篇でキャストは一部かぶっており、ムードは似ているが内容は異なる。これの音楽を八木が担当した。そのあたりを引用しておく。

「(福間)この『恋と太陽とギャング』から音楽が八木正生さんになってますね。」「(石井)ああ、そうですか。八木さんはそこがはじめてですか。たしか音楽係みたいな人が東映いたんですよね。その人がまたむずかしい人でね、むずかしくて、なかなかしっかりしてんですけどね。だれか別の監督が八木さんをとか言っても、意見があるわけですよ。そりゃだめだよ、きみとは合わないとかね、そういうことバリバリ言うような人だったんですよ。それでその人がね、八木さんと合うよってさかんに言ってたんですね」。

思いがけないが、いい話である。考えてみれば東映のような大撮影所には、こうした、クレジットには名前が出ないがスタッフを適材適所に差配する専門の裏方がいて当然だ。それで問題となるのは、人間の記憶というのが当事者によるものほど当てにならない、という事実である。周囲のチェック機能が甘くなるからだ。78年の時点で本人が『日本ロマンス旅行』の件を語っているわけだから、ここでの『恋と太陽とギャング』を巡る証言の矛盾は石井が単純に新東宝作品を忘れていたこと、インタビュアーがこの件を知らなかったこと、この二つに起因するのだろう。二本の間に三年近い間が開いている。そして八木のキャリアにあっても前作から一年半程度の空白。実はこの点については石井がこんなことまで語っているのだ。続けて引用。

「(石井)なんかクスリ関係でね、八木さんが入ってたんですかね。出られる日があるらしいんですね。それまでに作曲考えておいて、そのときにダビングできるからみたいなことでね。それでやったってな記憶があるんですね」。

ますますいい話。「クスリ」のお話は本人が既に亡くなっているとはいえ、あまりおおっぴらに書けるものではないが、現にこうして公にされている以上、引用するのは許されると判断した。この『恋と太陽とギャング』は前記リストに漏れがなければ、八木の初めての東映作品である。だとすると既述「東映の音楽係」の人は多分、映画音楽家というよりジャズ・ピアニスト八木のファンであって、新東宝での一連の仕事や彼のムショ入りを知り、そこで獄中の八木に自身の判断で接触して、出所後の社会復帰の仕事を世話していたのである。なかなか出来ることではない。
また、これに続くのが武満徹との初の共同クレジットとなった『涙を、獅子のたて髪に』(監督篠田正浩、62)であることにも注目。前々回の引用インタビューに語られていた「当時、彼もいろいろあって」「彼を正業につかせなければ」という「武満の友情」というのが、そういう意味だったのだとわかる。クスリはいいことではないが、こうした支援のエピソードには手放しで感動してしまう。