映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
二人のテイラーとクインシー
今回ピアニストとしてのビリー・テイラーに筆を割く余裕はない。このアルバム最大の注目はプロデューサーのクリード・テイラーと全編のアレンジを担当したクインシー・ジョーンズだからだ。クリード・テイラーというのはその後、ジャズ界に一大「クロス・オーヴァー」(今で言うフュージョン)ブームを巻き起こすあの人の若き日であり、アレンジャーももちろん「あのクインシー」本人である。クリード・テイラーは例えばギタリスト、ウェス・モンゴメリーの「テキーラ」“Tequila”(Verve)(編曲クラウス・オガーマン)や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」“A Day in the Life”(A&M)(編曲ドン・セベスキー)等、後年の企画ではさらにオーケストレーション自体をゴージャスにしていく傾向を見せるが、まだここではあっさりとしたものだ。このあっさり加減が実は若き日のクインシー・ジョーンズのアレンジの特質でもあって、即ち本作はある時期のこの両者の企画アルバムとして最上の成果となっている。

クインシー・ジョーンズ「私が考えるジャズ」

クインシー・ジョーンズ「ゴー・ウェスト・マン」
クインシーとクリード・テイラーのコンビによるアルバムとして最初に挙げられるのがアレンジャー兼オーケストラ・リーダーとしてのクインシー初リーダー・アルバム「私が考えるジャズ」“This Is How I Feel About Jazz”(GRP。原盤ABCParamount)で、録音は56年9月の三日間、その内の一日にはビリー・テイラーも参加している。レコード発売は57年初頭らしい。そしてもう一枚、こちらはクリード・テイラー制作ではない「ゴー・ウェスト・マン」“Go West, Man”(GRP。原盤ABC Paramount)を挙げよう。クインシーの二枚目のリーダー・アルバムだが何とアレンジも演奏もしていない。自作曲もなし。プロデュースのみ…これってどういうことなんでしょうか。何か釈然としないわけだが、とにかくそういうアルバム。
タイトルは「西へ行け、若者よ」という意味でアメリカのフロンティア・スピリットを象徴する言葉だが、ここでは当時二十四歳の若者クインシーが西海岸へ出張っていき、かの地のミュージシャンとアレンジャー(何とレニー・ニーハウスもいる)を起用してセッション・セッティング、一枚のアルバムを作り上げた。要するにこの二枚、プロデューサーはそれぞれクリードとクインシーで異なるとはいえ、一続きのコンセプト・アルバムなのである。大ざっぱに言うと「東と西」なのだ。だから多分、後者の製作者名義にクリードの名はないが背後に彼が厳然と存在していたのだと思われる。そして後者から先立つこと一カ月、録音されたのが「マイ・フェア・レディ・ラヴズ・ジャズ」だったのだ。 トリオ・メンバーはベースにアール・メイ、ドラムスにエド・シグペンとわかっているが、オーケストラの方はドン・エリオット(トランペット、ヴァイヴラフォン)、ジェリー・マリガン(バリトン・サックス)、アンソニー・オルテガ(テナー&アルト・サックス)、アーニー・ロイヤル(トランペット)、ジミー・クリーヴランド(トロンボーン)しかクレジットされていない。

オスカー・ピーターソン・トリオ「マイ・フェア・レディ」
シェリー・マン版に並んで有名なのがオスカー・ピーターソン・トリオによる「マイ・フェア・レディ」“Plays My Fair Lady”(Verve)だろうか。ベースはレイ・ブラウン、ドラムスはジーン・ギャメイジ。録音は58年11月である。後年このセッションがもう一枚の舞台ミュージカルのジャズ版「フィオレッロ」“The Music from Fiorello !”(Verve)と組み合わされ一枚のCD「マイ・フェア・レディ+フィオレッロ/オスカー・ピーターソン」としてリリースされた際に付されたバート・コラールのライナーノートでは、よく読むとかなり「マイ・フェア・レディ」に点が辛い。理由はまずドラムスが弱いこと、そしてメロディ優先の演奏に終始しておりピーターソンらしく燃え上がる一瞬が少ないことだ。ダブルタイム(演奏が二倍の速さになる部分のこと)では「らしさ」が蘇るのだが、とちょっと口惜しそうである。
ただしコラールがピーターソンに寄せる尊敬と信頼には揺らぎはない。ライナーはこうして結ばれる。「ピーターソンの見方でブロードウェイの音楽をレコーディングするということは、彼がアメリカの偉大な作曲家や歌に注ぐ愛情の、ひとつの表明であると言える。彼がそうした作品といつまでも取り組み続けるのは、そうした素材の持つメロディ、ハーモニー、リズムに触発されるからであり、インプロヴァイザーの彼にとって、その最高のものには挑戦するだけの価値が認められるからである(訳坂本信)」。 ついでに言うとピーターソン自身はアメリカ人でなくカナダ人である。これに加えてピアノのタッチが(実は歌声もそうなのだが)ピーターソンそっくりなナット・キング・コールもアルバム「シングス・マイ・フェア・レディ」(日本盤が出たかどうか私にはわからない。これは聴いたこともない)“Nat King Cole Sings My Fair Lady”(Capitol)をリリースしている。録音63年9月。アレンジはラルフ・カーマイケルであった。