映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
西海岸派の謎多き人生?
この引用は原盤のライナーノートからで執筆時期はレコード発売直前の56年5月13日。この時点で既にウェスト・コースト・ジャズの特質は完全に把握されていたとわかる。「だからこそ、ベルリンに生まれ、パリとハリウッドで学び育った、ジャズとクラシックの両方で活躍するアンドレ・プレヴィンと、生粋のニューヨーカーであり、今はウェスト・コーストに住むシェリー・マンは、これほど息の合った共演を容易になしえるのだ」とウラノフは筆を進める。そして「だからこそ、いまやロサンジェルスのジャズ・セッションには欠かせない存在のリロイ・ヴィネガーは、アンドレ、シェリーと見事な協調ぶりを見せるのだ」とも。
再三述べてきたように、西海岸派ジャズメンは、巨大産業に膨れ上がっていたハリウッドの映画テレビ業界でサウンド・トラック制作という格好の働き場所を得て、とりあえず昼ま生計を確保しながらロス近辺のジャズクラブで夜演奏するという二足のわらじを履いていた。楽団やコンボのメンバーとして東海岸から出発しアメリカをツアーしてきた彼らの終着点がひとまず西海岸ハリウッドで、ここから道を引き返してニューヨークに戻ったところで働き口が確保出来るかどうかは未知数、ということになれば西海岸に留まるという選択はある意味必然とも言える。ところがその実像、要するに誰がどんな映画のためにトラックを制作しているのかは特殊な場合を除きほとんどわからない。
で、アンドレ・プレヴィンとシェリー・マンの二人がこの「特殊な場合」に属するということは間違いないにしても、それでも不明な部分はどっさり残されている。つまり彼らのような例外的ジャズメンの仕事を「わかる」範囲で取り上げれば、逆にわからない部分の存在が明らかになるという事態が起こる。例えばプレヴィンを例に取るならば、従来の公式的映画音楽家デビュー作『山荘物語』“The Sun Comes Up”(リチャード・ソープ監督、49)以前に十本近い企画に関与していることが明らかになったことで、今度はそのような「豊作」ぶりというか仕事の供給がどのようにして為されたのかがかえって謎として浮かび上がる。「謎」というと大げさだが。彼の音楽的師匠の一人として名前が挙がったマリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコという人物はジェリー・フィールディングやジェリー・ゴールドスミスの先生でもあるらしいが、一体どういう人物でどのように映画産業に食い込んでいたものかも謎である。
これらはいずれも、従来、謎として考えられることすらなかった点であり、つまり色々なことが「わかった」ことで逆に「わからない」ことが現れたのであった。さらに前回は天才少年時代のプレヴィンのジャズ録音を紹介したが、彼の天才ぶりはどのようにして認識されることになったのかがかえって謎となってしまった。