映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
アンドレ・プレヴィン&ラス・フリーマン「ダブル・プレイ!」

チック・コリア&ハービー・ハンコック「イン・コンサート」


シェリー・マン「シェリー・マン・アンド・ヒズ・フレンズ」
ピアノは打楽器だ!
シェリー・マンがプレヴィンをピアニストに起用した際には名義が「シェリー・マン・アンド・ヒズ・フレンズ」となることは前回記したとおり。で、彼、マンのレギュラー・グループの場合は「シェリー・マン・アンド・ヒズ・メン」になるということも一応ここで押さえておこう。つまり「ヒズ・メン」にはプレヴィンの参加はない。それでそっちの場合にはラス・フリーマンがピアニストになるのが主流。
このピアニストとプレヴィンが組んで、今でもそれほど多くないピアノ二人参加という編成で作られたのが「ダブル・プレイ!」“Double Play/Two Piano Jazz”(Contemporary)で名義はプレヴィンとフリーマン連名になっている。これはやはり時代というべきなのか、ちゃんと二台の楽器をそれぞれ自由に弾いている(つまりいわゆる一台ピアノ連弾ではない)のに対決姿勢というのがあまりなく、うっかり聴いていると二人で弾いているのに気づかない人が多分いると思う。佐藤允彦と山下洋輔の「ピアノ・デュオ 偶語」(スーパーフジディスク)とかチック・コリアとハービー・ハンコックの「イン・コンサート」“In Concert”(CBS)「コリア、ハンコック」“Corea Hancock”(Polydor)とかとはずい分な違いである。 話がそれそうなので急いで引き戻すと、要するに西海岸派ジャズのリーダーたるドラマー、シェリー・マンの下できっちり修業(?)した典型的な西海岸派ピアニスト二人が共演すると、この音楽が「四人で奏でるトリオ」ジャズみたいになるというのが素晴らしい点だということを言いたいのである。肝胆相照らす仲というか。一卵性というほどではないが二卵性双子みたいな感じ。

とにかく前回書いたように戦後初期のプレヴィンはアート・テイタム、ナット・キング・コール系の流麗なジャズを演奏していた。それからほぼ十年で、プレヴィンは様々な変化を遂げている。まず高校生じゃなくなった。MGMにも就職して、その間足かけ二年を軍隊でも過ごした。戦争には行っていないし、コンテンポラリーのもう一方の代表的ピアニスト、ハンプトン・ホーズのように日本に駐留して秋吉敏子にジャズを教えたということもない。けれどもやっぱり軍務時代にビバップに出会って、新しいジャズの語法に堪能になっている。これが大きい。このあたりのことは、前々回少しだけ紹介した「シェリー・マン・アンド・ヒズ・フレンズ」“Shelly Manne and His Friends,Vol.1”(Contemporary)の原盤ライナーノートにバリー・ウラノフが記している。要するにピアノは打楽器だ、という主張である。
「メンブラノフォン=膜鳴楽器(ドラムス)、イディオフォン=体鳴楽器(鉄琴、チャイム、ヴァイヴラフォン、カスタネット)、コードフォン=弦鳴楽器(ピアノ、ヴァイオリン等)、これらは全て打楽器の仲間だ」とウラノフは書く(訳猪俣光一)。凄いうんちく。初めて聞く日本語、英語であり久しぶりに面食らったが、要するにそういうことだ。つまりピアノもドラムスも打楽器であり「ここでのプレイは二人のうちどちらがよりパーカッシヴなのか、言い換えればピアノとドラムスのどちらがより魅力的なラインなのか判別し難いほどだ」。さらに核心部分を引用する。

「アンドレがシェリーを模写したかと思えば、今度はシェリーがアンドレを模写するという具合に、フレーズを正確にやり取りしていないにしても、精神的に両者が互いにキャッチボールをしているような楽しさを醸し出している。これこそウェスト・コースト・ジャズの最高の醍醐味であろう。映画やテレビのスタジオ・ワークを通じて、様々な経歴のジャズメンがひとつの社会を形成し、お互いに研鑽して力を伸ばす。そして個人的に、またグループとして新しい試みに挑み、そこから自らも学ぶと同時に他のミュージシャンが学んだものから影響を受ける」。

「マン&フレンズ」による「マイ・フェア・レディ」の魅力ももちろんここにある。