映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
ビリー・テイラー・トリオ「マイ・フェア・レディ・ラヴズ・ジャズ」

ジャズ・ラヴズ・マイ・フェア・レディ
ところで舞台ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のジャズ版というのは他にも優秀なアルバムが色々あるので幾つか紹介しよう。まずビリー・テイラー・トリオによる「マイ・フェア・レディ・ラヴズ・ジャズ」“My Fair Lady Loves Jazz”(MCA。原盤ABC Paramount)から。録音は1957年1月、2月。舞台がブロードウェイで幕を開けたのは前年だから、大好評上演中のセッションだった。
ここで少しだけ「マイ・フェア・レディ」についておさらいを。原作は英国の作家ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」“Pygmalion”、これが発表されたのは1913年で、しかもショーは50年には死去している。そうなれば当然ミュージカル化というのはショーのあずかり知らぬところで企画されたと思われそうだが、実は原作者の生前から水面下英国で進行していたものらしい。本来の企画者はガブリエル・パスカルで、彼も54年には死去して一旦は途切れるもののその遺志を継いだハーマン・レヴィンの尽力により企画再開、無事、海を越えてニューヨーク、ブロードウェイ、マーク・ヘリンジャー劇場にて初演に漕ぎつけたのは56年3月15日のことだった。
ガブリエル・パスカルという人物は戯曲が映画化された際にも製作者としてクレジットされている。映画化された『マイ・フェア・レディ』“My Fair Lady”(ジョージ・キューカー監督、64)はオリジナル映画版の味わいをよく残し、等と言う以上にそっくりな細部がたっぷりあり、キューカーなり、あるいは彼に近いポジションにいた人物なりが存分に研究してリメイクに取りこんだことがうかがわれる。即ち単純化して述べるなら映画『マイ・フェア・レディ』は舞台の映画化である以上に『ピグマリオン』のリメイクなのである。ヒギンズ教授にレスリー・ハワード、花売り娘イライザにウェンディ・ヒラー。監督はハワードとアンソニー・アスキスの共同で。ヒラーはリメイク版にも意外なところに登場するので、これから映画を見るという方は探してみて下さい。
舞台用に原作を脚色したのはアラン・ジェイ・ラーナー。彼の作詞とフレデリック・ロウの作曲により全楽曲が作られている。シェリー・マンがアンドレ・プレヴィンとコンビを組み上記アルバム用セッションに初めて取り組んだのがその一カ月前のことで、成果に満足したレスター・コーニッグが彼らの次のアルバムのために東海岸で評判を呼んでいる舞台から楽曲をチョイスしようと思いつくのが多分七月末頃だろう。八月に録音セッションが持たれ九月発売、するとたちまちこのアルバムが大ヒット、以後二年間に渡るロングセラーを記録し、その余波で様々なジャズマンが同様な企画アルバムを発表することになるのである。そうした中から現れたのがビリー・テイラー版「マイ・フェア・レディ」であった。これはテイラーをリーダーとするピアノ・トリオのバックに小編成のオーケストラ(ブラス・アンサンブル&ギター)がつくという比較的珍しいスタイルのジャズになっている。