海外版DVDを見てみた 第3回『モーリス・エンゲル=ルース・オーキンを見てみた』 Text by 吉田広明
ヌーヴェル・ヴァーグ
この映画が描いている出来事はごくわずかなものでしかない。少年が家出して、遊園地で遊び、家に帰るというだけのものだ。物語もほとんどあってなく、まして訴えかけるべきメッセージもない。ごく日常的な出来事を描いているだけなのだが、その、日常性の中にある輝きを見出すことにおいてこそ、この映画は新しかったのである。そしてそのためにカメラを路上に持ちだしたことにおいてもこの映画は新しかった。エンゲルは、被写体に構えさせることがないように、写真機もほとんどレンズを覗かないでも撮り得るような簡易なタイプのものを使用していたというし、またストランドの映画に関わった際も、「何が嫌だったかと言って、三脚が嫌だった」、とあるインタビューで語っており、カメラを意識させないこと、機動的に動き回れることを何より求めたエンゲルは、とうとう自分で新しいカメラを開発しさえする。

彼が開発したのは一種のステディカムのようなものだった。カメラをストラップによって胸に固定し、三脚によるのと同じくらい安定した状態を作り出せるようにし、また極力カメラを目立たないように、レンズだけ穴から覗くようにした。映画を見れば分かるが、登場人物以外誰もレンズの方を見ていない。自分たちが撮られていることにすら気づいていないのだ。しかも16ミリカメラではなく、35ミリカメラなのだから驚く。当時の16ミリは精度が悪くて、ブロー・アップに耐えられなかったのだというのだが。ゴダールがエンゲル(正確にはエンゲルとチャールズ・ウッドラフの二人)が開発したカメラがどんなものか見たがったという話もあるが真偽は定かでない。エンゲルはその後も58年という比較的早い時期に、自分で開発した機械で同時録音をしてもいて、技術革新にも積極的な作家であった。

物語らしい物語がなく、ごく日常的な出来事を取り上げる。しかもそれが技術的な革新によって可能にされている。この二重の意味において新しい映画であった『小さな逃亡者』は、同じ新しい映画とはいえ、社会性の強いアメリカのインディペンデントよりは、フランスのヌーヴェル・ヴァーグにより近いと言えるかもしれない。実際、トリュフォーは、『大人は判ってくれない』(59)のニューヨーク映画祭での最優秀外国映画賞受賞に訪れた際に、アメリカの雑誌のインタビュー(「ニューヨーカー」60年2月20日号。ちなみにその中で、彼が好きな子供映画四本を挙げており、『小さな逃亡者』以外は、ジャン・ヴィゴ『新学期・操行ゼロ』、ニコライ・エック『人生案内』、ロベルト・ロッセリーニ『ドイツ零年』)の中で、インディペンデントで映画を作る道を示してくれた、として『小さな逃亡者』に感謝を捧げている。ただ、同じく子供を主人公にしているとは言いながら、『大人は判ってくれない』と『小さな逃亡者』では、描いている内容の深刻さが異なる。またトリュフォーが他の場所で『小さな逃亡者』に言及している例はないようだし、『小さな逃亡者』がヌーヴェル・ヴァーグ(ないしトリュフォー)に実質的な影響を与えたとは考えない方がよい。確かに『小さな逃亡者』は53年という比較的早い時期に作られているとはいえ、50年代後半から、全世界的に新しい映画の運動は、世界的に同時多発していたのであり、その同じ流れの中にアメリカのインディペンデントも、フランスのヌーヴェル・ヴァーグもあったのである。