海外版DVDを見てみた 第3回『モーリス・エンゲル=ルース・オーキンを見てみた』 Text by 吉田広明
『小さな逃亡者』
『小さな逃亡者』Little Fugitive
お世辞にも可愛らしいとはいえない子供である。隙っ歯に、そばかす、腰のピストル(もちろん玩具)がだらしなくぶらさがり、幼い舌足らずなものの言い方も微妙に人をいらだたせる。それが一緒に遊べとくっついてくるのだから、兄としては厄介払いしたくなるのも分からなくはない。しかも母親が弟の面倒をみろと命じたのをたてに、「お兄ちゃんは僕の世話をすることになってるんだよ」と生意気を言ってくるのだからなおさらだ。かくして兄は、仲間と語らって弟を騙す一計を案じる。本物の銃を弟に撃たせ、自分が死んだように見せかけるのだ。お前は死刑だ、警官に気をつけろ、と言われ青くなった弟は、泣きながら逃げ出す。ざまあみろと大笑いする兄だが、そのうち不安になり始める。家に逃げ帰った筈の弟がおらず、母親が置いていったお金(母親は今晩一晩留守にせざるを得ない。ちなみに一家は母子家庭)がなくなっているからだ。

では弟ジョーイはどこへ行ってしまったのかといえば、コニー・アイランドの遊園地に行ったのである。遊ぶつもりできたわけではない、警官を避けているうちに電車に乗ってしまい、その終点がコニー・アイランドだったというだけの話なのだが、その人ごみ、喧噪に最初は怯えていたジョーイも、大好きな馬に乗れる回転木馬を皮切りに、アトラクションの数々に次第に夢中になってゆく。回転木馬、的当て、バッティング、ハンマー打ち、ボート、ゴーカート。回転するシリンダーを潜り抜け、滑り台を滑り降りる。その間にひっきりなしに屋台の食べ物を飲み食いする。ホットドック、綿あめ、スイカ、トウモロコシ、ポップコーンにコーラ。この一連の場面には台詞が一切なく、ただジョーイの行動を追うだけだが、そのリズム、繰り返し、畳みかけが、観る者にジョーイの高揚を共有させる(編集はルース・オーキン。これが初めてというのが信じられない見事な編集だ)。それでもあの可愛げのない男の子が可愛く見えてくる、ということは実はなくて、何をやってもむっつりで、一貫してろくに笑わないのがむしろ可笑しいくらいなのだが、しかしそれでも観客の気持ちが彼にずっと近づいていることは確かだ。

『小さな逃亡者』予告編
仔馬に乗れるコーナーがあることに気づき、いそいそと駆けつけるものの持ち金は尽きており、ジョーイは仕方なく海岸に出る。海水浴をする人々の群れ。その中を縫って空きビン拾いをしている少年を見かけたジョーイは、自分も一本拾って彼に差し出す。少年はジョーイをボードウォーク下の窓口に連れてゆく。そこにデポジット制のビンを持ってくるとお金を返してくれるのだ。これはいいことを聞いた、とばかりにジョーイはビン拾いに精を出す。ビンを集めては金をもらい、金をもらっては乗馬コーナーに。その畳みかけるような反復。最初は付き添いに馬の手綱を握ってもらっているが、次第に自分一人で乗れるようになり、しまいにはギャロップできるようになる。しかしいつも一人でやってくるジョーイを不審に思い、係員が、誰ときているのかを問いただすと、ジョーイは逃げ出す。コニー・アイランドは次第に夕闇に包まれ、アトラクションにも明かりが灯り始める。帰り道を急ぐ人々。人気のすっかり無くなった海岸。一日すっかり遊び疲れたジョーイは、ボードウォークの下で寝入ってしまう。早朝、目が覚めたジョーイ。初めて波の音が響き、人気のないボードウォークが遠近法で捉えられる。人のいないコニー・アイランドは妙にだだっ広く見える。さて、また次の一日をどう過ごしていこうか。ここから先、映画は兄の側に視点を移し、彼がジョーイを探す様を描いてゆくことになる。いかに彼がジョーイの居場所を知り、母が戻ってくるまでにジョーイを家に連れ戻すことができるのか。そのスリルに満ちた過程は実際に目にしてもらった方がいいだろう。