海外版DVDを見てみた 第26回 モーリス・トゥルヌールの犯罪映画 Text by 吉田広明
『被告人、立ちなさい』ポスター

『被告人、立ちなさい』のシャルル・ヴァネル
『被告人、立ちなさい』
レビュー劇場で夜を徹してのリハーサル終了後、スター女優が殺されているのが発見される。彼女はナイフで殺されていたが、そのナイフは、出し物を巡って言い争いになっていた女優(ギャビー・モルレー)の持ち物だった。彼女の裁判が行われるが、状況証拠は彼女に不利なものばかり。彼女のパートナーは、その夜劇場に不審な男(シャルル・ヴァネル)がいたのを思い出し、彼を探し出して判決間近の裁判所に連行、その男はスター女優の元夫で、刑務所から出所したばかり、金の無心に来たのだった。彼が出てゆくのを見た者がいないことから門番が召喚され、彼は元夫が出てゆくのを見たという。裏口から出たのだから俺を見た筈がないという元夫の言に、弁護人は賭けに出る。

前半はレビューのリハーサルで様々な演目を見せながら、劇場の人間関係を描いてゆく。階段と楽屋が入り組んだ劇場の構造が見ていて面白い。狭い劇場だけに、階段もらせん状に曲がりくねり、中二階のようなところにヒロインとパートナーの狭い楽屋がある。またその階段の下にある二間ある広い楽屋があり、それが殺されたスター女優の楽屋。廊下に踊り子たちが群れている所をトラッキングしたり、暗く人気がない廊下に不審な男が立っている様を画面奥から捉えたり、狭さから奥行を生み出している。

一方後半は裁判劇になるが、声高に被告人を糾弾する検察を始め、とたんに演劇のようになってくる。劇団の、これは何をしている人なのか、元俳優と言う老人が証言に立つが、彼も滔々と演劇的に台詞を喋る。その究極が、ラストの弁護人の弁論で、彼は犯人の立場になって犯行を再現してみせるのだ。再現を進める中で弁護士はさりげなく犯人に証拠物件のナイフを持たせておく。と、犯行の時刻に至った瞬間、犯人は思わずナイフを投げ、その行為が自白となって、ヒロインは釈放される。裁判劇自体、裁判の過程で明らかになる新事実や、意外な展開もなく、ただ誰もが良くしゃべっている、という印象。ラストの劇においても、例えば犯人と目される男の顔や、ナイフを握った手のクロース・アップもないので、彼の心的葛藤が見えるわけでもない。弁護士がひたすらしゃべるだけで、犯行当時の雰囲気が再現され、その影響下で犯行を繰り返してしまう、とは、今の我々にとっては思えないのだが、映画が声を持つようになった初期では、そういうこともあったのかもしれない。フランスは演劇が生活の中で重要な位置を占めている国でもあり、語られる言葉が持つ喚起力、というものは我々の想像を超えているかもしれない。初のトーキーということもあり、人物がしゃべる言葉を、実際に音声として響かせることも重視されたのだろう。とは言え、画面構成自体がそれによりいささか単調になっている印象はぬぐえない。