海外版DVDを見てみた 第26回 モーリス・トゥルヌールの犯罪映画 Text by 吉田広明
『マルドーヌ』ポスター


『マルドーヌ』鏡に映る自身を撃つ
先日(2014年2月1日)、アンスティチュ・フランセ東京でジャン・グレミヨンの『マルドーヌ』(28)をさしたる予備知識もなく見て驚いた。そういう作品があることも(後でドゥルーズの『シネマ』に一作品としては結構な分量の記述があることを確認した)、それがいわゆるフランス印象派の傑作であることも知らずにいた。迂闊であった。しかしこの作品はこれまでもほとんど上映の機会がなかったというのだからやむを得ない。とは言え、三十年以上映画を見てきて、自分の知らない傑作がまだどれだけあるのかと空恐ろしい気がする。

主人公は川の引き船の船頭をしているが、川の光が露出過多、二重写しで捉えられ、実際の風景以上に、主人公がそれをどう見ているかの方に比重がある映画だと知らされる(それが「フランス印象主義」と言うことなのだろう)。主人公はとあるロマの女と出会い、惹かれてゆくが、その出会いがまた妙で、ロマの女は橋の上、主人公はその橋の下というかなり極端な配置で視線を交わす。二人の間に何らかの感情が宿った、という風な演技でもないのだが、視線を交わしたのがこの配置で、というだけで十分なのだ。この場面に限らず、人物に対するカメラの位置がハリウッド(トーキー期であれサイレント期であれ)とは違う印象で、映画がまだ各地でそれぞれ独自に道を探っていた頃の、映画表現が型を定め始める以前の破天荒なエネルギーを感じる。家を預かっていた次男の死(山で落馬する、この死の場面もまた素晴らしい)のため、気ままな放浪生活を諦めて家に戻らざるを得なくなる。しかし主人公のロマ女への思慕の念は断ち切れず、次第に鬱屈してくる彼を、周囲は新妻と気晴らしの旅に出す。しかしその旅先で、今やダンサーとして成功しているロマの女と再会してしまった彼は、一旦は家に帰るものの遂に狂気に至り、家出する。誰もが名場面と言うだろうダンス場面(狭いビストロに人が群れ、彼らが回転しながら踊るさまを、真上から、真下から捉え、モンタージュすることで、トランスする感情を見る者に感染させる)もさりながら、ラストの画面連鎖がまた凄い。主人公は屋根裏部屋に隠し置いた放浪時の服を着、鏡に映ったブルジョア風の自分を銃で撃って破壊したのちに家出するのだが、その、馬を走らせている、というだけの場面が、ああ、確かにこいつは気が狂っている、と思わせられる画面連鎖(反転した川面のイメージ、露出過多のきらめく光、激しい動きのためにブレる顔、等のモンタージュ)なのだ。

これを見て、アマゾン・フランスからモーリス・トゥルヌールのDVDボックスを購入していたことを思い出し、見てみたので、今回はこれについて書く。アマゾンのサイトで見た限りでは、そう謳ってはいないものの、犯罪映画を集めたボックスのようだったが、一作品はコメディ、もう一作品は狂気を巡るスリラーだった。30年代初期のトーキーで、サイレントとトーキーの違い、またハリウッドでサイレント期に巨匠となった後にフランスに帰って撮られた作品だけに、映画話法も現代寄りで、しかも娯楽作品なので、いくら時代的に近いとは言え、『マルドーヌ』ほど今の眼から見て毛色が変わっていたわけではなかったが、それでも興味深い作品群である。