海外版DVDを見てみた 第18回 ベイジル・ディアデンを見てみた Text by 吉田広明
ベイジル・ディアデン
今回は、前回に引き続き、イーリング・スタジオ出身の映画作家ベイジル・ディアデンの犯罪映画を取り上げる。ディアデンはイーリングのスタジオ・カラーを代表する映画監督であり、イーリングでの作品数は誰よりも多い。かつ、キャリアも長く、IMDbの監督作品数で単純に比べても、ロバート・ヘイマーの14本に対し、ディアデンは44本と三倍近い数の映画を撮っている。しかしイギリス映画の一時代を築いたイーリングを代表する監督だけに、フリー・シネマなどの新しい流れが台頭する中で、埋没し、忘れられていった。とはいえディアデンは、イーリング・スタジオのカラーを決定するような作品を撮りつつ、社会的な関心を映画の中に持ち込んだ点で、新しい映画の波を準備もしたのであり、彼は、40~50年代と60年代の橋渡しをした映画作家なのである。

ベイジル・ディアデンとは~長編第一作まで
ベイジル・ディアデンは本名ベイジル・ディア。エセックスの生まれ(以下もっぱらBFIのscreenonlineの記事より)。アマチュア劇団から、舞台監督としてプロの劇団に入るのだが、その劇団の主宰者がベイジル・ディーンと言う人物。そのディーンはイーリング・スタジオの前身であるATP(Associated Talking Pictures)を29年に設立した人物(イーリングは地名で、ATPのスタジオがその地にあった)であるが、もともと演劇畑の人間で、トーキー映画の製作に積極的だったが、それも演劇を映画の形で広く伝えるためだった。製作者としてはともかく、映画の演出家としては成功せず、一時演劇に戻っていたが、ディアデンがディーンと出会うことになったのはその間のことのようだ。ディーンは、マイケル・バルコンによってATPからイーリングと名称を変更されたスタジオに製作部長として戻るが、その際彼に伴ってディアデンもイーリングに入り、以後、脚本、スクリプト・エディター、ダイアローグ・ディレクター、助監督などを経験、映画の仕事に習熟してゆく。誰もが気づくように、ベイジル・ディーンとベイジル・ディアでは、名前が似て混同しやすい。ということで、ディアの方が、ディアデンと改名することになる。

『火災ベルは鳴る』の消防士たち
共同監督作三本を経て、ディアデン初の単独監督作となったのが『火災ベルは鳴る』The Bells Go Down(未、43)。イーリングは、戦時中プロパガンダを娯楽に包み込んで提供するが、その中で、イギリスのナショナル・イメージを鮮明に打ち出すことに成功する。個人主義的で、国家や世界といった大局にあまり関心を払わなかったイギリス人が、しかし密かに侵攻する敵を前に、一致団結してチームワークを発揮する。映画の中で描かれたイギリスのナショナル・イメージは、そのままイーリングというイギリスの小規模スタジオのイメージでもあり、イーリング・スタジオはかくして40年代半ば以降、イギリスを代表する映画スタジオとなる。そのプロパガンダ三部作(と規定しているのは、これまで何度も参照しているリチャード・バー)のひとつが、『火災ベルは鳴る』なのだ。他の二作はハリー・ワット監督『九人の男』Nine Men(未、43)、チャールズ・フレンド監督の『船団最後の日』(43)。『火災ベルは鳴る』は、爆撃下の消防隊員たちを、『九人の男』は偵察小隊の陣地防衛を、『船団』はナチスの攻撃で遭難したタンカーを何とかロンドンに持ち帰る乗組員たちを描いている。これらはみな敵に立ち向かう小集団の活躍を描いているが、こうしたチームワークをディアデンは描き続けることになる。イーリングのスタジオとしての方向性を決定することになる三部作においてディアデンが長編デビューをしていることは、以後ディアデンがイーリングを代表する監督になってゆくことを考えれば、無意味ではないだろう。

マイケル・レルフ
『火災ベルは鳴る』でディアデンとイーリングがそれぞれ方向性を見出したわけだが、この作品でもう一点重要なのは、ディアデンがここでマイケル・レルフという人物と出会っていることだ。レルフはこの映画では美術監督を勤めているが、彼は以後三十年に亘って、もっぱら美術と製作面でディアデンを支えてゆくことになる。この二人のチームは、メイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのチームに比せられるが、パウエル=プレスバーガーの協力は二十年に満たない(プレスバーガーの死によって断ち切られたのだが)。無論長いから良いわけでもないが、この協力関係の持続には、やはりディアデンという映画作家の、チームというものへの固執がうかがわれる。