海外版DVDを見てみた 第15回 『ゲット・カーター』を見てみた Text by 吉田広明
『ゲット・カーター』ポスター
『ゲット・カーター』その1
『ゲット・カーター』は、ロンドンのギャングの一員が、弟の死に不審を抱き、その裏に隠された真実を暴きだす過程を描く。映画の冒頭はロンドンの夜、そこだけ灯りに浮き上がるホテル(?)のペントハウスが遠距離から捉えられている。窓辺に一人男が立っており、そこにゆっくりとズームで近づいてゆく。背後には何人かの人がいて会話を交わしているようだが、彼だけは無言で正面を向いているため、背後の世界から切り離されて見える。ズームで彼に近づいてゆくのも、どこか内面性を感じさせ、観客と彼との間に親密な関係を打ち立てるように思える。これ以後、この男=主人公は、誰の干渉も受けず一匹狼的に行動してゆくことになり、それをカメラが(我々観客が)、しかし決して彼に同化することは無く、突き放した視点で見てゆくことになるが、この冒頭部では、そうした主人公の態度と、それに対する我々の視座を暗示し確立する。

そこからカメラは室内に移り、そこがギャングのボスの住居であり、ボスの愛人である女と、窓辺に立っていた男がその女と出来ていることが視線の交錯で暗示されると共に、人物との対話から、窓辺に立っていた男(それがカーターであり、マイケル・ケインが演じている)が、弟の死の不審を確かめるために田舎に行くつもりであること、ボスがそれに賛成していないことが分かってくる。この愛人の女(ブリット・エクランド、その後『黄金銃を持つ男』(74)でボンド・ガールを演じることになる。ちなみに64年から68年までピーター・セラーズの妻だった)との、距離を介したエロスの交感はその後のある場面で一層強烈な形で再現されることになる。

その後すぐ、カーターは汽車に乗り、イギリス北西部ニューキャッスルに向かう。汽車の長い旅の過程(カーターはレイモンド・チャンドラーの「さよなら、愛しき人」を読んでいる)がタイトル・バックとなる。中年女の経営するホテル(というよりは下宿、アパートメントの二階の一室)に宿をとり、弟の家に向かう。弟には娘と、別れた妻がいる(その二人には血のつながりはないようだ)。葬儀の後、彼は街をうろつき、知り合いを探す(この街は彼の生まれ故郷だ)。自分がうろつきまわることで立つ波風、反響から、彼は真相を推測してゆくのであり、その意味で、彼はハードボイルド探偵に近いと言える(汽車の場面でチャンドラーを読んでいたのにはその予告の意味がある)。実際、カーターの行動は全く我々には予測がつかない。彼の行動がまず描かれ、その後に起こる事態によって、彼が期待していたことはこれだったのだと判明し、ようやくそこで意図が分かる、という成り行きなのだ。この、観客を突き放した、乾いた感触が、何よりもこの映画の特徴であり、魅力である。突き放した感じ、というのは主人公に対しても言えることで、この映画では一貫してロングとズームが用いられているが、ロングが主人公を背景の中に置き去りにし(時に主人公は後ろ姿でしか捉えられない)、あるいはズームで群衆の中にかろうじてその姿が捉えられる(ズームで誰かの頭越しに彼が映るのだが、その誰かの頭が大きく画面を覆って、主人公はその背後に垣間見えるのみ)。