海外版DVDを見てみた 第7回『ビル・ダグラスを見てみた』 Text by 吉田広明
『同志たち』DVD

『同志たち』一場面

トルパドル殉教者
『同志たち』
『私の子供時代』が72年のヴェネチア映画祭で銀獅子賞を得るなど、評価はされたものの、その後新たな映画企画をなかなか通せず、BFIのマムーン・ハッサンのあっせんで、国立映画テレビ学校の教員となる。映画学校を出て、演出家となり、映画の実作を教えることで生計を立てながら、新作の機会を狙う、という形は、今現在の日本の映画界にもあるパターン。ビル・ダグラスはここでの教材として一本のシナリオを書く。「フランクとミニー」というそのシナリオは、夫婦がお互いの名前を呼び合うだけで、二人の関係が変化し、崩壊してゆく様を描くものらしく、このシナリオは2008年の時点でも教材として使われ続けていたという。

さて、ようやく製作がかなった長編映画『同志たち』Comrades(87)は、イギリス南西部ドーセットの一村、トルパドルで1830年代に実際にあった事件を元にしている。その村で搾取され続けた農民が、「農業労働者の親睦会」を組織し、引き下げられた賃金の受け取りを一致団結して拒否したことから、組合を組織することを禁じた法律に違反したとして裁判にかけられ、有罪判決を受けて、オーストラリアに流刑、重労働に従事させられた。映画によれば、裁判の判事自体、彼らの雇い主のブルジョアであった。彼らの不当を訴える世論が沸騰、彼らは釈放され、「トルパドルの殉教者」として、イギリスの労働運動史上に残る存在となった。トルパドルには彼らの博物館も作られ、ビル・ダグラス自身も79年にここを訪れるまで彼らの存在を知らなかったというが、そこの職員が彼に話しかけ、あなたはこの人たちの映画を撮るべきだ、と言われたことがきっかけでこの事件の映画化に至った。

映画は確かに彼らの物語を語るのではあるが、例によって説明的ではないため、人物間の関係がかなりの時間を経過するまでよく分からず、また、オーストラリアに渡ってから(各登場人物はバラバラの土地に送られるが、中間的存在がいて、彼らのエピソードをつないでゆく構造。ただしそれも緩い)を除いてはエピソードが連関しないため、正直、観ていて次第に乗ってくる感じがしない。『トリロジー』のような中編、短い長編では、そうしたブツ切れ感も映画的スタイルとして感じ取れもするのだが、これだけ長い作品だといささか閉口するところなきにしもあらず。ビル・ダグラスは、初期映画に興味があり、さまざまな光学玩具を集めており、そのコレクションは死後エクセター大学に寄贈されているのだが、全体の狂言回しとして、幻燈師が登場し、彼は映画の前身となるさまざまな機械を映画に導入する。影絵、ソーマトロープ、ジオラマ、写真。ただし、時代的な相即関係はあるにしても、映画の内容そのもの(トルパドル殉教者)と有機的な関連があるようには見えない。

映画は公開後二週間で打ち切り、以後ほとんど上映されていないまま、2009年のDVD化となった。映画があまり当たらなかったのは、無論映画自体の出来もあるだろうが、映画の公開された87年という時代が、イギリスではサッチャー首相の時代、イギリスにおけるグローバリズム最盛期だったこととも関連がないわけではない。サッチャーは、国内の資本強化のため、労働組合を弱体化する政策を積極的に打ち出しており、また実際それでイギリス産業は息を吹き返しつつあったので、サッチャーの政治は多くの支持を受けることになる。こうした時勢にあっては、労働運動の嚆矢となった事件を描くこの映画は、確かに完全に時流に反していたわけであり、ほぼ無視されたのも当然であったと言えば言える。