海外版DVDを見てみた 第7回『ビル・ダグラスを見てみた』 Text by 吉田広明
『トリロジー』
『私の子供時代』は48分、『私の家族の一人』は55分、『わが帰路』は72分の中編ないし短い長編からなる。そのすべてに主演しているのがスティーヴン・アーチボルド。ちょうどフランソワ・トリュフォーがジャン=ピエール・レオーをアントワーヌ・ドワネルの役名で、彼を分身として自伝的映画を撮ったように、スティーヴンを分身とし、ジェイミーの役名で自身の少年期、青年期初期を語っているわけである。先述したように、『私の子供時代』では、母方の祖母のアパートで、父の違う兄と共に暮らしていた時代を、『私の家族の一人』では、母方の祖母の死後、父方の祖母のアパートでの暮らしを、『わが帰路』では、イギリス空軍に従軍し、生涯の友人となる青年と出会い、イギリスに帰るまでを描く。こう書くとごく普通な自伝的映画のように見えるが、実際に映画を見た印象はずいぶん違う。映像特典でも見ることができるのだが、「ジェイミー」のシナリオは普通と違って(といっても海外の場合のシナリオの書き方をよく知っているわけではないのだが)、シーン番号もなければ、セリフ、ト書きもない。一見すると散文詩集のように、一、二行の文が一行の空白を開けて並べられているだけなのだ。しかしこれは実際に映画を見てみると結構納得がいく。ビル・ダグラスの映画は、一つ一つの場面が粒立つように作られており、例えば一つの場面は次の場面の伏線となっていて、それ自体は強くない、というような流れ重視で作られている映画ではないのだ。

『私の子供時代』のジェイミー
例えばこれは封入冊子の中である批評家も挙げている例だが、『私の子供時代』に、次のような場面がある。テーブルの上にティーカップがあり、その中に先ほど兄が墓地から持ち帰った枯れ気味の花が挿してあるのだが、主人公ジェイミーは、お湯を沸かし、その花を床に投げ捨て、お湯を注ぐ。カップからお湯が溢れ、テーブルの上に流れ出す。ポットをテーブルに置いたジェイミーは、カップを手に取り、中のお湯を床に空ける。カット代わって、祖母の部屋に入ってきたジェイミーが、そのカップを手に握らせる。それで初めて、ジェイミーが、祖母の手を温めてやるために、カップをお湯で温めていたのだと分かる。後のショットでその行為の意味づけがなされることによって収斂はするのだが、やはりその前のショットのインパクトの方が大きく、その印象は、ジェイミーがお湯をカップに注ぐ場面を、全景でなく、斜め上から、カップと手のみに限定したフレーミングによっても強められる。観客は、彼の行動の全容ではなく、手の動きのみを注視させられるのだ。

このように、一つ一つのショットや場面の強さに留意し、つながりを重視していない映画だけに、その後につながっていない、従ってよく分からないショットもあるのも確かで、二度、三度と見れば分かるようになるのかもしれないが、一度見た限りで本稿を書いている今現在、そうした場面は不可解なまま記憶から消え去り、ただその不可解さだけが残存している状態で、具体的にこういうショットがあったと挙げることもできない。ともあれ、ショットのその都度のインパクトを数珠つなぎにしているような映画であって、こうしたスタイルが、リアリズムを志向したものとはやはり思えない。それだけにビル・ダグラスの映画は、すんなりと目に入り、主人公の可哀想な境遇に涙してあげられるような映画では実はなく、むしろそうした感傷を排してくるような、ゴツゴツした印象の映画なのだ。ビル・ダグラスは演出する際、俳優たちにシナリオの全部を渡さず、場面ごと、断片的にしか書いたものを渡さなかったそうで、俳優たちに対しても、全体のつながりを考慮した演技をさせるのではなく、その場その場で、俳優のゴツゴツした存在感を突出させるように仕向けていたのだ。

これは登場人物間の関係にも表れていて、彼らはお互いに呼び掛けもしないので、どういう関係にあるか、最初のうちはよく分らないのだ。例えば、『私の家族の一人』で、主人公は父方の祖母のアパートに住み、その向かいのアパートに実の父の一家が住んでいて、そこに彼より年上に見える少年が住んでいるのだが、この少年が何者なのか、最後までよく分らない。実の父がその女性に産ませた子供なら、主人公の腹違いの(もう一人の)兄になるが、そのような親しみを二人は示さないので、その女性の連れ子なのだろうか、という気はする。先に書いたように、父方の祖母は、この家に包丁を持って殴りこむが、ここの一家がどういう人たちなのかまったく説明がないことも、この祖母の行動の唐突さ、異常さを際立たせることになる。こうした演出は、主人公に感情移入させるための方法論と逆行する。主人公の立場、状況に関するあらかじめの情報があって初めて、そこに起こる変化を観る者は感得し、主人公の感情を推し量ることができるのに、あらかじめの情報が与えられていないために、映画の現在は、観客にとって常に違和をもった状態であり続けることになるのだ。そして恐らく、そのような違和感、常に自分に安定した居所がないという微弱な不安感こそ、まさに主人公の環境に対する反応だったに違いない。ビル・ダグラスは、観客を物語の流れに巻き込むことによって、主人公に感情移入させることによって、ではなく、いつ何が起こるか分からない、その不安を、ブツ切りのショット、ゴツゴツしたつなぎという映画のスタイルそのものによって体感させようとしている。

『わが家族の一人』の母方の祖母
その後主人公は、恐らく母方の祖母の老衰ゆえに孤児院に入れられ、そこからある婦人に引き取られるがそこを逃げ、実家に戻るものの既に実父たちはどこかへ去ってしまっている。途方に暮れた主人公の映像に、オフ・スペースで汽車の音がして、画面は列車の最後尾から撮られた、後方へと去るレールに切り替わる。その後方移動の画面がレールから今度は砂漠に変わると、そこにまたオフ・スペースからアラブ的な太鼓の音が聞こえてくる。入隊の場面はこのように処理され、やはりどのような経緯を経て入隊したのか、その具体的な手続きはおろか、入隊に至る心理的な流れは決定的に廃されている。ただ、一見断絶しているように見えても、打ち捨てられた主人公を風景の中に孤絶させるショットから、流浪するイメージへとつながり、どこにも確かな居所を見いだせない主人公の孤独感だけは、確かに持続している。こうしてエジプトの地で生涯の友に出会い、それによって彼の生活が安定していったことは先に記した通り。『わが帰路』の終わりで、主人公はその友からロンドンで(恐らく彼がかつて住んでいた)アパートの住所を預かる。映画の終わりはその部屋の内部のパンニング(ほぼ固定ショットが多いビル・ダグラスの映画では異例)で終わるのだが、My Way HomeのそのHomeが、実はその後、彼らが共に暮らすことになるこのアパートのことなのだ、と、そこで観る者にはようやく分かることになるのだ。