海外版DVDを見てみた 第6回『ラウール・レヴィを見てみた』 Text by 吉田広明
『ザ・スパイ』
ラウール・レヴィの監督第二作は、スパイもの。アメリカの科学者(モンゴメリー・クリフト)が、西ドイツに行って、ソ連の科学者からマイクロ・フィルムを受け取ってくる任務を命じられる。西ドイツでは連絡係である医者に接触することになっているが、既にそこにも東の手が回っており、なかなか彼と接触ができない。東の科学者(ハーディ・クルーガー)が彼に接触してくるのだが、その男も当局に脅され、彼を東側に寝返らせることを命じられている。ソ連の科学者は実は三流の科学者で、その実態は優れた複数の科学者の集合体であり、自分もその一人である、とクルーガーはクリフトに明かし、東側に来たら自由に研究させてやる、と持ちかける。実際その後生命を賭して連絡係の医者が渡してくれたマイクロ・フィルムはクズ同然の古い情報だった。クリフトは単独国境を超えることを決意する。

ストーリー自体、正直しょぼい。実体のない科学者、というのも大した秘密のように見えないし、マイクロ・フィルム自体古い情報で何の役にも立たないというのには驚いた。かつ、これがそのマイクロ・フィルムだ、といって黄色い鉛筆を医者が出した時は思わず笑ってしまった。もうちょっとましな容れ物は無かったのか。クリフトがホテルに泊まると、部屋替えをさせられ、何か薬のようなものを与えられて悪夢を見るのだが、それは悪夢と現実の見分けがつかないようにさせる一種の拷問らしく、目が覚めるとベッドが路上に出ていて、そのすぐ脇で道路工事をしていたり、銀色光線が当たると脳が変化して爆発する、と暗示をかけられて、銀色光線から必死に逃げ回ったりする。いかにも六十年代な発想だが、そのしょぼさでかえってインパクトがある。東ドイツには何故か街のところどころに立て看板があって、労働者の写真や、マルクス、レーニンの写真、黄色い地に中国語があしらわれたイラスト(文化大革命時のイラスト・ポスターの感じ)などが立っている。調べてみると美術はピエール・ギュフロワ。ブレッソンの『少女ムシェット』や『ラルジャン』、ブニュエルの『銀河』、『自由の幻想』、『欲望のあいまいな対象』、ポランスキーの『ザ・テナント』、『テス』、大島渚の『マックス、モン・アムール』などを手掛けた人だった。

これがモンゴメリー・クリフトの遺作になるのだが、56年に交通事故で顔面が崩壊したのを、整形手術で治し、顔面の筋肉が一部動かなかったということで、実際この映画でも、全編ほとんど表情らしい表情がなく、何を考えているのか分からない不気味さがある。この映画の撮影前後はレヴィとゴダールが親しく付き合っていた時期で、この映画にもゴダールがカメオ出演している。ロシア側のエージェントのようなのだが、よく分からない。東ドイツの諜報部の男と挨拶代わりにキス(しかも唇。チュ、程度だが)するのがちょっと気持ち悪い。カメラはこれもラウール・クタールだが、なるほどクタール、という感じはしない。また音楽がセルジュ・ゲンズブール。スタッフのクレジットは映画の終わりに出るのだが、ゲンズブールと見て、ああそうだったか、という感じはやはりしない。どんな音楽がかかっていたかすら正直思いだせない位だ。全体に確かにヘンな映画なのだが、同じヘンでも『二人の殺し屋』ほどに心に残存する苦みのようなヘンさではない。「傑作」というのはちょっと苦しく、「奇作」という感じがする。