海外版DVDを見てみた 第6回『ラウール・レヴィを見てみた』 Text by 吉田広明
『二人の殺し屋』DVD
『二人の殺し屋』
ラウール・レヴィは『マルコ・ポーロ』(65、未)で共同監督にクレジットされているが、これは彼がクリスチャン=ジャック監督、アラン・ドロン主演で製作していた作品で、資金繰りがうまくいかず、山田氏によれば製作途中でレヴィは破産した。自分も演出に回って、何とか完成はさせたのだろうが、主演も監督もまるで違ったものになっている。それはともかく、レヴィが本格的に演出した最初の作品になるのが『二人の殺し屋』だ。

『二人の殺し屋』のクルーグマンとシルヴァ

『二人の殺し屋』ラスト近く


アメリカの上院で公聴会が開かれており、そこで或るギャングが証言をすると、組織が壊滅するということで(という辺りは実際どうでもいいのだが)、今現在はフランスに隠れ住んでいるそのギャングを殺害すべく、二人の殺し屋が送られる。その元ギャングを演じているのがエディ・コンスタンチィーヌで、殺し屋を演じているのがジャック・クルーグマンとヘンリー・シルヴァ。クルーグマンは初老の殺し屋で、妹がコンスタンティーヌに捨てられ、絶望のあまり精神的におかしくなったという個人的な恨みを彼に持っている。一方シルヴァはクールで実務的な殺し屋で、古株のクルーグマンに敬意を払いながらも、彼が個人的な事情を仕事に持ち込むのを快く思っていない、という設定。

二人はパリで一旦別れて、方や車で、方や列車で南仏に向かい、合流した後マルセイユのコンスタンティーヌの隠れ家に向かう。二人の道中はロード・ムーヴィーのように見え、車窓の外に広がる南仏の景色を見てカリフォルニアみたいだ、とか、ビルの立ち並ぶ街を見てブロンクスみたいだ、とか、何かとアメリカに比べるのがアメリカ人の自己中心性を揶揄しているようで馬鹿馬鹿しくおかしい。思えばフィルム・ノワールには二人組の殺し屋が出てくる作品が多く、大半がボケとツッコミの漫才のようなコメディ・タッチになってくるが、この映画もその伝統?に属しているようだ(シオドマク『殺人者』46、シーゲル『殺人捜査線』58、アーヴィング・ラーナー『契約殺人』58など)。異国の二人、という意味ではジャン=ピエール・メルヴィルの『マンハッタンの二人の男』(59)を連想させもする。撮影(カメラはラウール・クタール)は全体にドキュメンタリー・タッチというか、肌理が荒い感じで、ニューヨークの夜など、発光するビルが露出過多気味でぼうっと滲んでいる様子(単にDVDのプリントが悪いだけか)などは、確かに『マンハッタンの二人の男』の暗さ、粗さに通じるものがある。筆者の印象だと、撮影の良い意味で雑な感じと、ずっとジャズが鳴っているのが、ずっとナレーションが喋っている感じと酷似して、アレン・バロンのノワール『沈黙の銃声』Blast of silence(61、未)を強く連想させられた。

さて、この映画はラストの二十分程が凄い。いよいよ隠れ家が遠目に見える場所にくると、二人の殺し屋は車を降り、歩き始める。砂塵が舞う白っぽい道に、真黒なスーツを着た二人の男。音楽が高鳴る。その頃、殺されようとする男も窓を開け、辺りを見回す。殺し屋たちのスーツの裾をなびかせていた同じ風が、彼の髪を乱す。まるで敵の匂いを感じ取ったかのようににわかに緊張するコンスタンティーヌ。殺すものと殺されるもの、共にプロフェッショナルである彼らは、お互いがお互いの存在を気配で感じ取るのだ。ほとんど共犯関係のような親密さ。隠れ家に到着した殺し屋の顔を、カメラは初めてクロース・アップで捉える。逆光気味の無表情な二人の顔、そして黒々と光る銃口。すると突然椅子の下に隠れていたコンスタンティーヌが、椅子を跳ねのけて立ち上がり、クルーグマンの手を撃つ。二人の殺し屋に銃を突きつけ、銃を自分の所に持ってこさせようとするが、クルーグマンは銃をくるりと回して、早撃ちでコンスタンティーヌを撃ち殺す。しかし映画はこれでは終わらず、結末までもうひとひねりあるのだが、それは記さずにおこう。ただ、最後の銃撃戦の後ただ一人生き残ってしまったクルーグマンが、葦のまばらに生えたあまりにもさびしい海岸で立ち尽くし、風がそのネクタイを揺らすところでストップ・モーションになり、映画が終わることは記しておく。

この映画はフランス=イタリア合作ということで、確かにラストの対決場面などはマカロニ・ウェスタンを思わせるところもあるのだが、全体に、五十年代後半以降の盛りを過ぎた頃のB級フィルム・ノワールに近い印象だ。低予算で、作りが荒い故にリアルであり、またほんの数人しか主要登場人物がおらず、また監督が演出と脚本も手がけ、個人的な作品なので、内面的というか親密な雰囲気が立ち込めている。見終わった瞬間はヘンなものを見た、という印象で、普通に映画として成立してるのか?と疑問すら湧く感じなのだが、全体の雑な感じが妙にザラザラと舌に残る印象で忘れ難く、またところどころ突出して優れた場面が思い出されるにつけ、ダラダラしてなんだか分からない部分とのバランスの悪さもかえって映画の魅力に見えてくる。必ずしも万人に勧められる映画ではないように思うが、フィルム・ノワール好きには是非見てもらいたい作品だ。