ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第1回 ロンドンI
フレッド
それから私はシネマ・ブックショップによく本を買いに行った。メアリ・ピックフォードやルイーズ・ブルックスなどの無声映画の女優の本や、ジャン・ルノワール、エルンスト・ルビッチュ、マイケル・パウエルなどの監督の本、そして、ジュディ・ガーランドやエディ・カンタ、マルクス兄弟などのエンターテイナーたちの本もよく買った。マルクス兄弟の本を立て続けに何冊も買っていたら、ある時何も言わずに私の目の前にマルクス兄弟の本を放ってくれたこともあった。
留学先の大学では美術を勉強していたけれど、授業についていくのがやっとの状態で泣きそうになっていた。そんな中で本屋に行くことが特別な楽しみになっていた。本屋に行く時は行く前からもうどきどきした。彼が店にいるのが嬉しくて仕方なかった。少しでも映画の話ができたらなといつも思った。彼の深みのある目を見ていると、その内面に何かとてつもなく大きなものを抱えている感じがして、どうしてもそこに惹かれてしまうのだった。お気に入りの女優がリタ・ヘイワースで、オーソン・ウェルズとエルンスト・ルビッチュが好きだと聞いただけで私はとても嬉しかった。
彼は1934年に当時のチェコスロヴァキアで生まれ、幼い頃に父親とお兄さんとロンドンにやってきていた。今思えば、彼の抱えているものの深さというのは、歴史を実際に体験した人にしかわからない苦労や厳しさに裏打ちされているものだったのかもしれない。もう思い出したくないかもしれないからと、そのことについて詳しく聞いたことはないけれど、戦争を経験したことのない私は不意に遠い国の昔の出来事が身近に感じられるような気がした。
言葉の苦労や不慣れなことも多かったけれど、ロンドンは私にとってこの上なく居心地の良い場所であった。町の中に美術館も劇場も映画館も歩いて行ける距離で密集していることがただ嬉しくて仕方なかった。何もせずに、ただひたすら町中を歩くことが楽しくて仕方なかった。そして、古本屋に行けば、昔の映画について書かれた本や俳優の写真や古い映画雑誌が当たり前のように置いてあった。

ナショナル・フィルム・シアターに『メトロポリス』(25/26)を観に行った時に初めて無声映画のピアノの伴奏というものを知った。舞台の隅にピアノが置いてあるので、どうしてだろうと思っていると女の人が出てきて、映画が始まるのと同時に演奏を始めたのでびっくりしたのである。伴奏があることで映画がさらにいきいきしているように感じられた。何の先入観もなしに無声映画の伴奏というものに出会えたことが嬉しかった。ハムステッドの映画館へ友達と『パンドラの箱』(29)を観に行ったこともいい思い出になっている。この時も伴奏つきで会場は人でいっぱいだった。日本よりも無声映画の認知度は高く、人が普通に無声映画を見に行ける環境があると感じてそれがうらやましかった。何の先入観もなしに無声映画にまっすぐに接するために、私はできるだけ余計なことはしないように努めていたのである。
留学を終えて日本に帰ってから、私はフレッドからもらった本屋の住所に本を注文するための手紙を書いた。もともと日本語でも話すのは苦手で彼とはそんなにたくさん話ができたわけでもなかったから、手紙に間違いだらけの英語で一生懸命に自分のことを書いた。この間こんな映画を観た、あの俳優さんがよかったと書いて送った。彼はいつも親切な返事をくれたけれど、後になって彼が大変な筆無精であることを知った。彼はマルクス兄弟が大好きだと言っていて、いい本があると教えてくれた。でも、イギリス人やアメリカ人でマルクス兄弟が嫌いな人なんているのだろうか。リリアン・ギッシュに関してはなかなか良い本がないようだった。それでも演劇の雑誌にリリアン・ギッシュのことを書いた文章が掲載されているのを見つけて教えてくれたこともあった。本が少ないうえに映画もそんなにたくさん観られない状態で、それでも私は少しでも彼女のことが知りたかった。それから、ハリウェルの「映画狂のための手引書」の中で、良い本屋としてシネマ・ブックショップが紹介されていることも知った。