コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 【新藤兼人が語る三隅研次】   Text by 木全公彦
『鼠小僧次郎吉』の職人技
新藤   つい最近、偶然テレビで三隅君が松竹で撮った作品を見たのだけれども、あれもうまかった。

――『狼よ落日を斬れ』(74年)ですか。

新藤  墓場で女と会うシーンがあるんだけど、とてもいいんですね。彼は映画というものをよく知っていると思いました。太地喜和子君とか俳優に対する演出もとても的確ですね。僕は感銘を受けました。三隅君の映画には人生を感じさせるうまさがある。だから『斬る』でも薄幸の剣士の短い生涯を、市川雷蔵というニヒルな美剣士のイメージをうまく掴んで、それを画面に生かしていた。彼は画作りもうまいし、カット割も見事なものです。とても才能のある監督だと思います。

――『斬る』は冒頭もすばらしいですね。藤村志保のアップから始まって、中臈に斬りつけるところで、パッと俯瞰になる。

新藤  彼もいろいろ勉強したんでしょう。僕の書いたシナリオと一字一句同じなんだけど、それをどのように画面で見せていくか演出家としての冴えは一流だったんじゃないでしょうか。

――『舞妓と暗殺者』(63年)もとってもよかった。

新藤  それは誰が監督?

――三隅さんです。新藤さんの脚本で。

新藤  う~ん、覚えていない。忘れちゃった。ほかに僕は何を書いたっけ?

――『斬る』(62年)『舞妓と暗殺者』(63年)『鼠小僧次郎吉』(65年)『酔いどれ博士』(66年)『処女が見た』(66年)『鬼の棲む館』(69年)。全部で6本です。

新藤  『鼠小僧次郎吉』はよかったね。昔、山中貞雄が大河内伝次郎の主演で撮ったやつ。いい映画だった。それでこれをやったらいいと僕が大映に薦めたんです。これは20日間ぐらいで撮ったんじゃないかな。主役の林与一が当時売れっ子でなかなかスケジュールが空いてなくて、出演できる日数も限られていた。それで林与一が出演するシーンを先に撮って、あとは中ヌキでどんどん撮っていった。あれ、ロングや後ろ姿のところは林与一じゃないですよ。そういう器用なところはありましたね。映画をよく知っていなくちゃできるもんじゃありません。三隅君はそういう職人といっては悪いけれども、名人肌の職人芸を持っていましたね。

――新藤さんは監督であると同時にシナリオライターでもあるんですが、監督によってはシナリオライターの書いたホンを直す人もいますね。語尾をちょっと直すというような細かい直しを含めてですけども。三隅さんはどうでしたか。

新藤  三隅君はそのまんま撮っていました。監督にはいろいろ個性があるから、僕はいいようにいじってもらえば、それはそれでいいと思っていて、あまりこだわらないんですが、三隅君はシナリオ通りでした。ああ、そう、『舞妓と暗殺者』ね、やっと思い出しました(笑)。あれは大映の土井逸雄というプロデューサーに頼まれて、京都だから舞妓を出そうということになって、築地の東屋という旅館で書いたシナリオでした。

――津川雅彦が故郷の庭にミカンが咲いている話をする場面が情緒たっぷりでとってもよかった。

新藤  ああ、そう? そんな場面書いたっけ。

――ケガをした津川を舞妓の高田美和が匿って、風呂場に隠す場面がありました。追手がやってきて風呂場を開けると、高田美和がとっさの機転で着物を脱いで裸になって入浴していたといってごまかす。『斬る』の万里昌代が裸になって雷蔵をかばう場面にそっくりで(笑)。

新藤  全然覚えていない。まいったなあ(笑)。さっきあなたは情緒といったけれども、三隅君はそれに溺れていないでしょう。どこか乾いた目で見つめている。『斬る』なんかでもそうですが、暗い話になりがちなところをあれだけ凛とした作品になっているのは、三隅君の美意識というか、情緒的ではあるけれども、それに溺れない意思の強さみたいなものの表れなんじゃないですか。僕は三隅君の撮影現場にも見学に行きましたけど、これでOKと言ったあとも三隅君は3度も4度もキープカットを撮るんですね。スタッフや俳優はこれで終わったと思っているから、みんなクサっている。そういう粘るところはありますね。大体、大物監督でもないのに、とくに大映ではそれはあまり許されることではなかったのに、よく粘りましたよね。