コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 【新藤兼人が語る三隅研次】   Text by 木全公彦
サン、シー、ゴー
――大映京都ですと、森一生さんの流れと衣笠貞之助さんの流れが大きくいってあると思うんですが、田中徳三さんや井上昭さんは森一生さんの流れで、三隅さんは衣笠さんの弟子ということになりますね。

新藤  だけど三隅君の作品は全然衣笠さんの影響は感じられないね。衣笠さんの作品は衣笠流のサラサラした演出というものがあるんでしょうが、できあがった映画を見るとちょっとモタモタしたところがありますね。三隅君にはそういったものがなく、無駄が一切なく、カット割にも冴えがある。たとえば衣笠さんがイチ、ニー、サンならば、三隅君はサン、シー、ゴーなんだ。

――ああ、掛け声ではなく、カット割のリズムが、ということですか。

新藤  そうです。三隅君は最初のイチとニーを飛ばしていきなりサン、シー、ゴーと入っていく。その省略のうまさからくるリズムがありますね。さきほどあなたが言った『斬る』の冒頭なんかそうでしょう。説明カットから入るんじゃなく、いきなりアップから入って観客の度肝を抜く。冒頭からずんと中心に斬りこんでくる名人の太刀さばきのようです。たとえば伊藤大輔さんの時代劇なら、大河内が振りかぶって刀を振り下ろした瞬間、相手の提灯がパッと燃え上がるというような省略のケレンみたいな鮮やかさが時代劇のおもしろさですね。衣笠さんの演出には流れるようなよさはあるけれども、そういった閃きがない。衣笠さんの時代劇には殺陣があまりないから、それでもいいんでしょう。おそらく三隅君は衣笠さんの助監督をやりながら、批判的な覚めた目で衣笠さんの演出を見ていたんじゃないでしょうか。

――なるほど。ところで新藤さんはほかの監督にシナリオを渡すとき、作品のテーマを話したり、ここはこのように撮ってくれとかおっしゃったりするんですか。

新藤  撮り方については言いません。テーマは言います。しかし監督の個性を尊重して、言いはしますけど「こんなふうにやってください」とかは言いませんよ。それは失礼ですから。ですからシナリオを書いた上での自分なりのテーマは伝えますが、基本的には監督に任せます。まあ、同じ映画をやっている者同士ですから、ちょっと言えば分かるもんです。阿吽の呼吸ですね。ただ時代劇には約束事があるし、殺陣がある。それも殺陣の場面を書けばいいというんじゃなくて、そうなる必然を書いていかなくちゃいけない。そこが難しいですね。僕はあまり時代劇を書いたわけではないですが。だから三隅君みたいな監督にやってもらえれば、シナリオを渡したときに期待する気持は大きいですよね。三隅君ならこんなふうになるんじゃないかと思ってね。『斬る』が成功したときは、『愛妻物語』で三隅君にがんばってもらった恩返しがやっとできたという気持で僕としても嬉しかった。

――シリーズものではいかがですか。新藤さんは三隅さんとはシリーズものはほとんどやっていませんが、池広一夫さんの監督した「座頭市」の脚本は書いていらっしゃる。

新藤  『座頭市海を渡る』(66年)だね。

――そういったシリーズものを書かれるときのコツはありますか。

新藤  シリーズの約束事から大きく外れてはいけないし、同じことの繰り返しになってマンネリにならないようにはしなくてはならないというところが難しい。『海を渡る』は座頭市が孤立してひとりで戦うというアイデアを頼りにして書きあげました。

――モトネタは『真昼の決闘』(52年、フレッド・ジンネマン監督)ですよね?

新藤  そうだね(笑)。

――シリーズものを書かれる場合は、前の作品を参考試写したり、シナリオを読まれたりするんですか。

新藤  いや、まったくそういうことはしません。約束事をプロデューサーに確認するだけ。たとえば座頭市の場合は、宿場町に行くと悪代官かなにか悪い奴がいて、弱いものをいじめているわけですわね。それに座頭市が巻き込まれ、弱い奴の味方をすると。それで悪い奴といえども女は斬らない。そういう約束事はある。だけど座頭市も最後のほうは大物になっちゃって、庶民的な、人間的な弱さがなくなってしまいましたね。僕はテレビの「座頭市」のシナリオも書きましたけれども、シリーズの最初のほうにあった丸太を這って渡るというようなリアルな、人間くさい弱さがなくってしまった。あの丸太を這って渡るというところを見せるのが本当の座頭市のよさだったように思いますね。

――まさしくそれを撮ったのが三隅さんです。『座頭市物語』(62年)。シリーズの第1作です。

新藤   そうですか。三隅君だったのか。そういったキャラクターをパッと掴んで絵にする才能は彼にはあったね。あれはうまいなと思いました。そういうものがシリーズの中盤からなくなってしまったから、制約を設けていかに座頭市の力を縛るかがテーマになってきてね。『海を渡る』では誰も座頭市に味方してくれずに孤立してたった一人で戦うというふうにね。

――『酔いどれ博士』はどうですか。

新藤  あれは大映が勝新太郎も座頭市ばかりじゃ飽きるということで、なにか新しいものをということでキャラクターを作るところから始まった。それをシリーズに定着させたのは三隅君の功績でしょう。これもあまり覚えていない。

――これは座頭市以上にシリーズに進むにつれてマンガになっちゃって、三隅さんの第1作がいちばんおもしろかった。

新藤  僕はシナリオライターとしていろんな監督のシナリオを書いているけど、書かせてくれと自分から売り込んだことは一度もない。プロデューサーがやってきて書いてくれという注文があるから、何でも書いてきただけ。大映ではたくさんの監督のシナリオを書きました。でも永田雅一さんは三隅君を便利に使いすぎたんじゃないですか。70ミリの『釈迦』(61年)もそうでしょう。それで大作専門の巨匠になるのか思えばそうでもなくて、プログラム・ピクチュアを撮って、シリーズのローテーションもやって、よく潰されずに、がんばりましたよ。京都の人が寒い中、朝早く起きて黙々と雑巾掛けをしているような感じがしますね。

――え? どういう意味ですか。

新藤  いや、そういう澄んだ清潔さが三隅君の作品にはあるんだね。

――大映の末期の『鬼の棲む館』あたりから、勝プロの作品にかけては、どちらかといえばバーバリズムというか、野蛮な感じが前面に出てきて劇画調になりますね。

新藤   バーバリズムね。時代のせいもあるんでしょう。彼もいろいろと模索していたんじゃないですか。大映はなくなっちゃうし。何歳で亡くなったの、彼は。

―― 54歳です。肝臓ガンですね。まったくお酒は飲めなかったのに。

新藤  まだ若いのに惜しいことをしました。残念です。

――きょうはありがとうございました。



2006年10月24日 近代映画協会にて
取材・構成 木全公彦