映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第66回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その4
ディズニー・ミュージックと三蔵法師御一行
そして音楽。今では考えられないが「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」、「星に願いを」、「ハイ・ホー」、「狼なんか怖くない(三匹の子ブタ)」の替え歌(だからメロディーはそのまま)が出てくる。つまり著作権法というものが完全に無視されている。多分きちんとそういう協定が締結されていなかったのに違いない。また孫悟空たちに元気を与えるためにホウレン草の缶詰が登場する。言うまでもなく元ネタは『ポパイ』“Popeye The Sailor”(監督 マックス・フライシャー、33)で、ちゃんとパッケージに「SPINACH」と書かれているのも、ちらっとではあるが分かる。
ほんの一カ月前に大政翼賛会が組織されたばかりで、「それまでの欧風に染まった自由主義的な世情を一掃して質実剛健、健全な日本に改めようという『新体制運動』の気運」の真っ只中での封切りだったはずだが、このていたらく、というか。いや大変なものである。津村秀夫という、映画を見る能力を欠いた、しかしこの時代には結構売れっ子だった映画評論家に世紀の大愚作と口をきわめてののしられたとも聞くが、こういう人にならののしられる方がむしろ勲章だろう。

新体制の前ではアメリカナイズされた事物風俗はすべて取り締まりの対象だった。(中略)ディック・ミネなど外国人風の芸名の改名指導、各地ダンスホールの閉鎖(十月三十一日)、ハリウッド映画の締め出し、などが着々と進んだ。ジャズは「新体制」が囁かれはじめてから真っ先に排撃の対象に挙がっていた。

以上は毛利眞人「ニッポン・スウィングタイム」(講談社刊)からの引用。同書は「ジャズはアメリカの進駐軍が日本に持ってきた」という「定説」が、いかに真実の片面しか伝えていないか、を実証する優れた著作であり、戦前のジャズが当局により「排撃」されてもされてもしぶとく生き残る様子を生き生きと描いている。とりわけこの「大政翼賛会」時代のジャズ排除の気分は、現在の例えばヒップホップ・ミュージックに対する保守的な世間からの偏見とは比較にならないほど強烈なものだっただろうが、ただ一つだけ違うのはしょせん、お上からの「建前」的な攻撃に過ぎなかったことだ。
アメリカ起源の音楽だから悪なんだ、と言われて「おっしゃる通りです」とつい思っちゃう家畜的心情のニッポン人だってそりゃ一定数はいつでも確実に存在するが、全員がそうじゃないのも当然であろう。検閲体制を強化する帝国軍人側にこの手の「家畜」ニッポンジンばかりが集まっていたのも間違いあるまいが(この体制のバカバカしさに気づいていた軍人だっていくらでもいたとは思いたいものの)。それは、『孫悟空』が中国起源の物語だから中国侵略を正当化するのが目的の国策映画に決まっている、といった硬直した考え方をする一部現代日本人研究者の脳みその中身の「家畜」ぶりにも通ずるところである。この「杓子定規」がいかにアホらしいかは、実際にこの映画を見れば分かる。これは単純に言えばディズニーの漫画映画に代表されるアメリカン・カルチャー賛歌であり、スウィングバンド・ジャズ賛歌なのである。これが国策なら帝国はアメリカとなんか戦争をしなかったに違いない。

さてここで勝手に借用された歌の数々にもふれておこう。まず「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」は映画『世紀の楽団』“Alexander’s Ragtime Band”(監督 ヘンリー・キング、38)の主題歌。本コラム第40回で取り上げてある。ここで歌うのは猪八戒に扮する岸井明で、彼の歌手としての側面は現在アルバム「唄の世の中~岸井明ジャズ・ソングス」(ビクターエンタテインメント)で聴くことが出来、そこでもこの唄は日本語の歌詞で、ただし替え歌じゃなく歌われている。「星に願いを」“When You Wish Upon a Star”は『ピノキオ』“Pinocchio”(監督 ノーマン・ファーガソン他、40)で、「ハイ・ホー」“Heigh-Ho”は『白雪姫』“Snow White and the Seven Dwarfs”(監督 デヴィッド・ハンド、37)で、最も有名な挿入歌。「狼なんか怖くない」“Who’s Afraid of Big Bad Wolf?”は短編『三匹の子ブタ』“Three Little Pigs”(監督 バート・ジレット、33)の主題歌である。この三曲はもちろんディズニー映画からの選曲。
「世紀の楽団」以外はジャズではないものの先に述べたように「アメリカン・カルチャー」、この時代の最新流行ポップスである。ジャズ的な見地から聞き逃せないのはワンシーンだけで現れる李香蘭の歌う歌曲(『エノケンの孫悟空』插曲としてネットにも挙がっていた)。残念ながらタイトルが分からないものの、明らかにジャズ音階独特のブルーなムードを意識した作りで鈴木靜一の作曲だろうか。薄物で顔を覆うコスチュームでゆったりと歌われるのに立ち会った猪八戒が、夢じゃなかろうかという風情で目をこするのも良く分かる。この時代、李香蘭は満洲映画協会所属で、もう一人中華電映からの汪洋と共にゲストスター的な扱い。汪洋の「中国人形の踊り」とコントラストをなす李香蘭のソング・アンド・ダンスだが、本作は意外なくらい中近東風のセッティングが強調されているのも注目。確かに広い中国には中近東の民族の住んでいる地方だってあるのだが、問題はそういうことではない。明らかに本作の方向性は中国の大陸をまたぎ超えて中近東の宮殿から西洋のお城を目指している。
ちなみに西洋的な意匠、つまりドイツとかのおとぎ話を連想させる美術で描かれたパートでは、「小姓」役で矢口陽子の名がクレジットされている。つまり男装で、後の黒澤明夫人である。そして中華的世界でなく中近東世界への憧れを示唆していると我々観客に思わせるのは、何よりその部分に使われる音楽が「アラビアの唄」をアレンジしたものだからだ。