映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第66回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その4
ロボットと闘う孫悟空
ラピュタ阿佐ヶ谷9月20日までのモーニング・ショーは「戦前日本SF映画小回顧」であった。これは高槻真樹の著書「戦前日本SF映画創世記 ゴジラは何でできているか」(河出書房新社刊)にインスパイアされた企画で、今回見逃したらなかなか見られそうもない作品がずらりと並んでいて圧巻。その中でほとんど例外的に有名なのは『續清水港(清水港代参夢道中)』(監督 マキノ正博、40、日活)と『孫悟空 前後篇』(クレジットを読む限りでは前篇と后篇)(監督 山本嘉次郎、40、東宝)の二本だけだと言っていい。本作が何故、二つのパートに分かれているのかは私じゃ分からない。別々に公開したのではないだろうから、単に休憩を入れたということかな。書くべきことは色々あるにしても本連載とジャズ史と映画史の交錯が主たるテーマであるから、余計な件には触れない。『續清水港』についても書きたいことは結構あるがそれも今回はなし。あくまで『孫悟空』に専念。今回のコラムはその鑑賞メモから始めたい。
「鑑賞メモ」って要するに私が映画を見た時に備忘録としてつけているだけである。この作品には色々と「見る前・見ている時・見た後」でチェック項目がやたら多かった。昔は実際に見ながらノートに走り書きをしたりしていた。が、最近はやめている。「見ている時」にしか書けないことというのもふんだんにあるわけだが、その件は多少あきらめたというかキリがないというのが分かったからだ。それでも直後、記憶に従って急いで書きしるすというスタンス自体は変わらない。「見る前」というのは例えば、この作品で特殊技術撮影(私の子供時代は略して「特撮」と言った。今ではスペシャル・エフェクツを口語化して「SFX」)を担当したのが円谷英二だったこととか、ゲスト出演している李香蘭(りこうらん。リー・シャンラン。後の山口淑子)さんが上映直前9月7日に亡くなったとか(ご冥福をお祈りします)、そういった予備知識のインプットということだ。

「見た後」というのは、資料をあたって、本作が紀元2600年の紀元節11月3日の一週間後(三日後という説も)に公開されて大ヒットを記録したとか、これが「国策映画」と呼ばれるべき企画かどうか議論がある、といった情報を仕入れることにある。また多くの資料でこれが『エノケンの孫悟空』となっていることを確認したりするのも「見た後」のこと。上記画面クレジットを読むとこの表記、どうやら正しくなさそうだが。高槻真樹の著書にも「見た後」であたった。言うまでもないが『ゴジラ』(監督 本多猪四郎、54、東宝)の特撮が円谷英二で、本企画上映中にその最新作アメリカ映画が公開されていたのも当然インプットされていたし、前回も書いたようにオリジナル版に映画史上最も有名なものの一つと言える主題曲をつけたのが伊福部昭であったのも重要ポイント。
「見ている時」の鑑賞ポイントは様々で、大ざっぱに書けば撮影と装置と音楽になる。音楽の件が本連載に関わるのは当然で、後述。撮影についてはズーム・レンズの使用に注目する。多くの場合ロングから少し接近するやり方だが、一か所、寄った状態から引くのもあった。技術的な制約からかどうかは不明だが、構図自体が変わってしまうほどの劇的な寄り、引きはなかったようだ。特撮ではなくミュージカル場面に多く用いられているのも面白い。カメラマンは『人情紙風船』(監督 山中貞雄、37)や『姿三四郎』(監督 黒澤明、43)で知られる三村明(ハリー三村)である。彼は名家の出で、キャリアも何とハリウッドからの出発だ。アジア圏出身の先駆的技術者の一人として活躍していたがユニオンのストライキで仕事が無くなったのを機に帰国した。今と違って映画の技術的問題は本家アメリカから学んで活かす、という時代。三村の存在は心強かっただろう。ちなみに本作、調べがつかなかったが、日本におけるこの「ズーム・レンズ」使用の最初期の例だろう。ただしそれがアメリカから持ち帰ったものなのかどうかが、今ちょっと分からない。この件は興味深い問題をはらんでいるものの連載のテーマからは外れてしまう。
装置では音楽に関わる部分は後述するとして、何と言ってもテレヴィジョン(テレビ)が登場するのに注目。言及されるのは三蔵法師が持っている魔法の鏡を孫悟空たちが共に見ている場面でなのだが、映画の後半、金角と銀角の兄弟が主宰する科学技術研究所で彼らが見ているのがまさしく「テレヴィジョン」そのもの、当時の近未来メディア。とはいえ実物ではなくモニター画面ははめこみ合成だった。そりゃそうでしょ、実物なんて戦後のものだもの、と考えたあなたは認識が甘い。有名なのはベルリン・オリンピックで実験放送が行われた一件で1935年。日本では、高柳健次郎が現行の方式に直接につながるシステムで送受信を成功させたのが1929年である。
このへんは私も知っていなかったわけじゃないが、「見た後」でちらっと調べて驚いた。本作公開の半年ほどさかのぼる40年4月にちゃんとNHK(この時代にそう名乗っていたかな)が「テレヴィ演芸 夕餉前(ゆうげまえ)」という十五分ドラマを試験放送している。主演は原泉。怖いお婆ちゃん役で有名な女優だがこの頃はまだきっと若かっただろう。多分。私たちは普段テレビというメディアをビデオ・システムと直結して捉えているから分かりにくくなっているが、もともとテレビは同時中継性というのが本分。視覚メディアだから映画みたいなもんだと人は思っているが実はラジオに近い。だから初期テレビのプログラムはラジオからそのまま移行したものが多い。それはもちろん戦後の話で、従って「夕餉前」は一体どれくらいの人が見たものかも分からないが、大ざっぱに言えば関係者、技術者しか見られなかったに違いない。ではあるが多分、『孫悟空』のスタッフ、例えば製作者 瀧村和男とか脚本・監督 山本嘉次郎とかの誰かが見ていたのではないか。金角、銀角の指令室からテレヴィジョンを通して見えるロボット軍団のメタリックな外観の未来的感覚は素晴らしいの一言。本作のビデオは以前市販されていたものの、現在は通販でしか入手できないのが残念だ。