映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第66回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その4
アラビアの唄はホントにアラビアの唄か
この「アラビア(アラビヤ)の唄」“Sing Me a Song of Araby”は日本で最初期に歌われたジャズの代表的ナンバーとして知られる。「♪沙漠に陽は落ちて」と始まるその歌は流行歌好きなら誰でも途中までなら口ずさめるはずだ。「ニッポン・スウィングタイム」には、この歌の出自と日本での受容のされ方に一章が費やされており、また、同書に先立つ戦前ジャズについての画期的著作、瀬川昌久と大谷能生「日本ジャズの誕生」(青土社刊)にも多くの注目すべき情報が盛り込まれている。それによるとこの歌曲はMGM映画『受難者』“The Garden of Allah”(監督 レックス・イングラム、27)のための主題歌として作られたもので作詞・作曲はフレッド・フィッシャーによる。日本公開は30年。本国アメリカではヒットせず、レコードにもならなかった。
この時代、映画は当然サイレントで、つまりサウンドトラック盤ではなくその映画のために劇場で生演奏される目的の楽譜が残っているのが確認されたものであった。ただし、日本の劇場で映画がかかった時この音楽が演奏されたかどうかは不明とのこと。日本でだけこれが爆発的に売れたきっかけは1928年2月23日午後0時10分オンエアのジャズ放送で二村定一のヴォーカルによって歌われたからだ。演奏はJOAK(NHKの東京放送局のこと)ジャズバンド。毛利眞人はこの「放送がとくに意義深いのは、ジャズという、日本人にとってなじみのない音楽を根づかせるために、ヴォーカルをメインにして取り扱ったことであった。のちに『ジャズソング』と呼ばれる形式である」と同書に述べる。「それは、ジャズが踊るための音楽から、聴くための音楽に変わった瞬間であった」。

この歌は放送時の好評を受けて3月に録音、4月下旬に発売されるとたちまち大ヒットを記録する。現在ではCD「ニッポン・モダンタイムス・シリーズ〜SWINGTIME〜」(日本コロムビア)に収録されたこのニッポノホン盤を聴くことが出来る。歌っているのは二村と、放送後にジャズ番組で彼と共にレギュラー的存在になる天野喜久代であった。放送されたのは「目下アメリカで流行中のフォックストロットを七つ」(当時読売新聞で紹介されたプログラムより)で、そのうちの一曲に過ぎなかったのだが…。フォックストロットというのはラグタイムに触発されて生まれたアップテンポのダンス・ステップであり、そういう意味ではジャズとは異なるものの、この時代の感覚ではほぼジャズの同義語と言える。現在我々が普通に「ジャズ」と言っている音楽はおおむね戦後初期に成立した「バップ」以降のものだから、今、例えばジャズのライヴ・ステージで「アラビアの唄」が歌手によって歌われるということはないし、事実、メロディーもそれほどジャズ的な感じはしないが、繰り返しのリズム・パターンの強調される刺激的な心地よさが当時のジャズを象徴するのだろう。
同書の内容をまとめて記すと、二村は続けて二種、新たにこの歌をレコードに録音し、いずれもヒット、また堀内敬三の訳詞を載せたハーモニカ楽譜も出版され、広く普及したとある。ちなみにネットには、都合のいいことに「アラビアの唄 コロンビア盤とビクター盤の比較検証」というのが上がっている。この歌は、さらに日活とマキノで『砂漠に陽が落ちて』のタイトルで映画化(前者28年11月、後者29年2月封切り)もされている。以下引用。

ヒット曲を題材として作られる映画は「小唄映画」といって、レコード会社、楽譜出版などと緊密なタイアップを組んでいた。当時はまだ無声映画であったから(略)映画館の袖で歌手が蔭歌(かげうた)をつける。(略)戦前のレコードカタログには「映画説明」というカテゴリーが存在し、これらの映画も活弁レコードとなった。そうしてレコードにはもちろん蔭歌歌手の歌う「アラビアの唄」が抜かりなく挿入されたのである。

抜かりないにもほどがあるというか、問題の映画『受難者』の日本公開は30年だったのだから、それよりもずっと以前に「アラビアの唄」は日本の劇場興行関係者とレコード業界によって収奪し尽くされていたのである。もっとも『砂漠に陽が落ちて』って一体どんな映画だったのだろうか。『孫悟空』の公開は40年。従って、この歌の大フィーバーは既に過去のことだったにしても、当時のお客さんは中国大陸を行く三蔵法師御一行が立ち寄る宮殿にアトラクションとして流れるこの歌(のアレンジされた曲)にジャズの気分を感じ、気持ち良くリズムに乗ったに違いない。また同書には「第一次世界大戦前から二〇年代にかけて欧米で流行したオリエンタリズム(東洋主義)が日本にも流入し、アフガニスタンやアラビアがあこがれの地となった」とも書かれている。「一九二〇年代の中東は創作意欲を刺激する、もっともホットな地であった」。要するにこの映画の根幹には、日本が軍国主義に急速に傾いていく時代へのささやかな拒否の気分が潜んでいるのだが、ただしそれが紀元2600年の奉祝気分とも矛盾しなかったという点が興味深いところなのだ。
引き続き毛利眞人の著書から。この歌が何故「日本でだけ受けた」のか、彼はこう分析する。「それは、アメリカン・ポップスとしてはかなり異質な楽曲の構造にあった。七曲のなかで非西欧的な五音音階の旋法を持つこの歌だけが、日本人の耳に親しく訴えかけたのである。」

感覚的に日本人の口ずさみやすい四七(ヨナ)抜き旋法によるヘ長調のフレーズが、三節目で半音階進行となり、哀愁とあこがれを誘う。四節目ではふたたび長調に戻る。洋風ではあるが、決して西欧的ではないメロディーである。(略)フィッシャーは映画のテーマに沿って非西欧的なテーマソングを作ろうと腐心するあまり、欧米人のエキゾチシズム趣味の範疇を超えてしまったのではないだろうか。

現在の日本人に最もなじみ深い音階といったら当然「ドレミ」である。基本「七音」から出来ている。普通に誰でも歌えるはずだ。一方ドから数えて四つ目と七つ目、つまりファとシを抜いた音階「ドレミソラ」を「五音音階」「ヨナ抜き旋法」という。実際キーボードで弾いていただけば納得されるであろうが確かに日本風の音階である。というところから本項のテーマ、山本邦山につながることになるのだが、それは次回ということで。(続く)