映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第42回 60年代日本映画からジャズを聴く   その4 八木正生とその時代(ちょい大げさ)
「あしたのジョー」主題歌裏事情
さて前回の訂正から始めた本稿、ことのついでにもう少し八木と小池の協働に着目しておきたい。サントラ盤「あしたのジョー」のライナーノーツによると、エンドタイトルに流れた「ジョーの子守唄」が何とある時点までは正主題歌として考えられていたらしいのだ。つまり番組冒頭に流れるはずだった。
ただし、今や誰もが知っている尾藤イサオによる主題歌が正式に決まってから後で(現在聴かれる版を)小池朝雄が録音している。もし間違えて「子守唄」が冒頭に流れるような事態が起こっていたとしても、そのバージョンは小池の歌唱ではなかったことになるだろう。主題歌は八木自らが30人にも及ぶ歌手のテープ審査を行い、尾藤に決定したとのことである。決め手は「寂寥感」だと八木は述べている。小池に関しては「音程の悪さ」だった。

原作は68年から73年の五年間にわたり少年マガジンで連載され、特にジョーのライバル力石徹が亡くなった際にはその葬儀が執り行われたことでも話題となった。このイベントの様子は当時少年マガジンでもちゃんと記事が掲載されたが、企画したのは寺山修司の主宰する「演劇実験室天井桟敷」である。寺山は早くに亡くなっておりサントラ盤リリース時にはインタビューに答えようがなかったが、制作者は元夫人九條今日子に話を聞いている。「やりましょう、と言い出したのは劇団員でした。寺山は何でも面白がるほうなので、すぐに乗って。私は、講談社の『少年マガジン』の編集長に、断られることを覚悟で会いに行きました。思いもかけず、編集長の内田勝さんは二つ返事で了解して下さいましたが、その後、会社の了解を取るのに苦労をなさったようです」。

「告別式」の催されたのは70年3月24日。そしてアニメーション放映が始まったのは4月の頭。講談社六階講堂にしつらえられたリング上で、ボクサー姿の尾藤がちゃんと主題歌を熱唱したのであった。この記事はあくまで雑誌掲載だから現在そのままで読もうと思ったら古本を探す他ないわけだが、「復刻版少年マガジン大全集第1巻」(講談社刊・KCデラックス188)に再録されている。見出しもついでに引用する。「幻の英雄といわれ、黄金の輝きを持つ男といわれ、魅力の敵役といわれた力石徹の"告別式"は、湧き上がるファンの声によって実現された。そして、異様な熱気の中で、700人余りのファンが、叫んで騒いで楽しんだ」。七百人って少なすぎないか、と思われる方もいるであろう(私は今そう思った)。実は先着五百人限定だった。会場に入りきらないからだ。そういうわけだからギュウギュウだったに違いない。葬儀の構成は東由多加だったことも記事解説からわかる。解説には式次第も記載されていて、それを読むと喪主が「シンジケートジャックと豆の木」、こちらが劇団天井桟敷のメンバー。もう一つ「キッド・ブラザーズ・カンパニー」、当然これが東の劇団で、彼も天井桟敷出身(あるいはこの時点ではまだ劇団員だったかも)。両者共同で務めている。さて、次第にはちゃんと「アニメーション・フィルム上映」とある。パイロット・フィルムだったか第一回放映分か、あるいは予告編みたいな形式だったか、よくわからないものの、ともかく参列者七百名がテレビアニメの最初の視聴者だったことは間違いない。

本命盤」ライナーノーツには「あしたのジョー」のプロデューサー側(丸山正雄氏)からの音楽スタッフ関連情報がインタビュー形式で掲載されている。
それによれば「ジョーを作ることが決まってじゃあ音楽はどうしようかって時に(略)ジャズっぽいフィーリングがいいよねってことになって、でも(略)ジョーの世界には浪花節も入るよね的なノリがある中で、じゃあジャズと浪花節それぞれ出来る人を二人立てて(略)何て言ってるうちに、一人でそれが出来る人がいると。(略)それが八木先生だったんです」。いい話である。

「その頃は『網走番外地』だけ知っている人は八木先生はそういう音楽をやる人だと思っていたし、逆にジャズの人たちは、そんな任侠映画の音楽を八木さんがやっているなんて夢にも思わないというそれくらいのノリだったわけですよ。で僕なんかは両方とも好きだったから、八木さんにお願いできないかという話になって、とんとん拍子に決まったわけです。(略)実際、寺山さんがあっちこっちで『あしたのジョー』のことを書いてた時代で。(略)八木先生に作曲をお願いしたことも、(略)当時で言う『サイケなあしたのジョー』になってしまうんじゃないかって(笑)。(略)曲があがってくるまでハラハラしていたのを憶えています」。
寺山修司と八木正生は既に『涙を、獅子のたて髪に』(篠田正浩、62)で一緒に仕事をしており、それでこの仕事も最初から乗り気でつきあってくれたのではないかと丸山氏は考えている。そこから「ジョーの子守唄」の件に話は進む。「(副主題歌へと)変更になった理由は、はっきりと憶えていませんが、あの曲は単独としてエンディングとしてはいいとは思うんですが、『あしたのジョー』全体を表す曲ではないよね、という判断だったように記憶しています」。実は、あんまり関係ないが小池朝雄はこの『涙を、獅子のたて髪に』にもちゃんと出演していた。
番組最後のタイトルバック用に小池朝雄が起用されることになったわけだが「八木先生が、楽譜通りちゃんと歌うんじゃなくて、きっちり歌わなくていい、はずれているほうがいいと。(略)八木さんにお願いしたもう一つの演歌・浪花節の雰囲気のものですからね」。多分、このへんの浪花節感覚というのはジャズに照らし合わせて言えば「ブルース」になるはずで、音程の悪さというのもそういうところからの発想だと思う。「あしたはどっちだ」というフレーズが藤岡重慶で、「立て、立て立て、立つんだ、ジョー!」が小池朝雄。しかし今聴いても小池朝雄の音程は全く狂っていないし、つまりこの話はシャレというかジョークだとわかる。さて、それでオープニング(正主題歌)をどうするか。「その辺の記憶も曖昧なんですが、寺山さんが勝手に作ってきちゃった気もするんですよね。(略)それに尾藤イサオさんが自動的にくっついてきちゃったような。(略)だからもしかしたら、仮歌で尾藤君にその場で決まったような気もするんです」。
この主題歌の歌詞が結構いいかげんなことは前回も書いた。ひょっとすると正副主題歌変更に関する現場の混乱というかアナーキーなエネルギーがそこには反映していたのかも知れない。