海外版DVDを見てみた 第9回 カヴァルカンティの『私は逃亡者』を見てみた Text by 吉田広明
『私は逃亡者』と『邪魔者は殺せ』
この作品はカヴァルカンティがイーリングを出た後に独立プロによって撮られている。これまでの記述で、これが決してイーリングで撮られうる作品でないことはお分かりいただけたのではないかと思う。この映画の企画自体にカヴァルカンティが絡んでいるわけではないにしろ、カヴァルカンティにはこうした暗さへの志向があったのであり、それはイーリングとは相いれないものだった。カヴァルカンティがイーリング後にイギリスで撮った作品はこのほかにもう二本あり、うち一本が同じような無実の罪を着せられた男の話らしいのだが、筆者は未見。

さて、この作品は四七年の作品だが、同じ年にキャロル・リードの『邪魔者は殺せ』が発表されている。こちらは強盗を犯して逃げ回る男を描いているが、逃亡する男という主題において『私は逃亡者』と共通する。『邪魔者は殺せ』では主人公(ジェームズ・メイソン)はアイルランド独立運動の闘士で、活動資金のために強盗する。ただそういった政治性はあまり前面に出されていない。とはいえそうした設定によって、主人公の悲劇性(かわいそうさ)が際立つのも確かである。主人公は病み上がりという設定で、ときどき立ちくらみし、そのせいで逃げ遅れることになるわけだが、その立ちくらみはいかにもキャロル・リードらしく、傾いだカメラや靄った視界によって表現される。また彷徨する主人公のそばを、死を捉えることに取り憑かれた画家や、すぐれた腕を持ちながら無為に耽る闇医者などロンドンの下層社会の様々な人間が通り過ぎてゆくが、その人間模様が印象的に描かれてゆく。主人公はラスト、それに乗って逃げるはずの船が横を通り過ぎてゆくのを見ながら雪の中で息絶える。半日に限定した構成、諦念に満ちた終わり、人間って複雑怪奇だなあと感慨を抱かせる人間模様。これに比べると『私は逃亡者』は、構成は緊密さを欠いてぶっきらぼうなところがあるし、描かれているのは暗い情念に突き動かされる、皮肉屋で分かりにくい人物ばかりだし、明確な悲劇性を欠いて曖昧だし、「名作」臭がまったく感じられない。しかしこれは裏返せばすべて長所たりうる。というか、いま挙げた要素はすべてノワールの魅力なのだ。時に『邪魔者は殺せ』と比較されたりもする『私は逃亡者』だが、こちらにはまかりまちがっても映画史上の「名作」に祭り上げられることは決してない。安心してご覧になられたい。

『私は逃亡者』They made me a fugitiveはイギリス版(Odeon entertainmentから)、アメリカ版(Kinoから)が出ている。前者はpal版、リージョン2、アメリカ版はリージョン1。