海外版DVDを見てみた 第8回『テレンス・デイヴィスを見てみた』 Text by 吉田広明
『トリロジー』
DVD
トリロジー
テレンス・デイヴィスは自伝的作品を何本か撮っているが、製作順としては『トリロジー』(『子供たち』Children,76、『聖母子』Madonna and child,80、『死と変容』Death and transfiguration,83)、『遠い声、静かな暮らし』(88)、『長い日が終わる』The long day closes(92)、そしてリヴァプールの変化を扱った自伝的ドキュメンタリー『時と街について』of time and the city(08)。ただし、扱われている年代順にいえば、テレンスの幼児期を扱っているのが『遠い声、静かな暮らし』、少年期を扱っているのが『長い日が終わる』、思春期から壮年期、さらに想像上の自身の死までを扱っているのが『トリロジー』と、描かれる時代の順序が製作順とは異なっている。このこと自体におそらく格別の意味はないのだが、彼の映画の一本一本の作品の中で、クロノロジーが意図的に混乱させられており、あるいはそれと何らかの関係があるかもしれない。ともあれ製作順に作品を紹介していこう。

『子供たち』の主人公
『子供たち』では、学校(中学校かと思われるが小学校かもしれない)で同級生に苛められたり、先生に体罰をくらったりする少年の映像に、時折中年男の映像がインサートされる。中年男は医者に行き、鬱の薬を処方されているのだが、その診察の過程で「まだ女に興味が持てないかね」と聞かれているので、彼が鬱になっている真の原因が性にあることが分かる。少年もまた水泳の授業で、若くハンサムな体操教師がシャワーを浴び、股間に手をやるのを見ており、既にそういった嗜好をもっていることが分かる。彼の心のよりどころとなっているのは母なのだが、彼女は主人公と一緒に乗っているバスで急に泣きだす。その原因が何なのか、映画は明確には描いていない。ただ、その場面はプールの場面の直後にあるので、主人公がホモセクシャルであることが原因のようにも見えるが、一方その直後に、(父とおぼしき)男が腹を抱えて苦痛にのたうちまわっている場面が続くので、自分の夫の死病のことを嘆いているのかもしれない。概してデイヴィスの映画では、登場人物が唐突に泣き始める場面が多く、その原因はたいていの場合良く分からない。しかしこれらの泣く場面には総じて、何ともならない現状に涙するしかない無力感、神に見捨てられた哀しみが感じられる。

『聖母子』の主人公
『聖母子』の主人公は壮年になったデイヴィス。都市部の事務所に働いているが、ホモセクシャルの欲望と、宗教の葛藤によって心的に苛まれている(事務所に通うフェリーの中で彼は唐突に泣く)。デイヴィスの映画は音楽の使い方に特徴があるが、それが明確に自覚され始めたのはこの映画からだ。そこではあからさまに映像と音声が齟齬をきたしており、そしてその齟齬自体に意味がある。主人公は、以前店の前でタバコを吸う彫り師(マッチョで、腕中にタトゥーを入れている)を見ていた刺青師の店に電話を入れ、男性器に入れ墨を入れてほしい、と依頼するのだが、勃ってる時しか仕事ができないから時間がかかるとか、いくら以下でチンコに触るのは嫌だ、とかといったやり取りの音声は、ブルックナーのミサ曲に伴奏され、また画面は、教会の祭壇をゆっくりとしたトラヴェリングで捉えている。さらにその直後の場面では、教会で当たり障りのない懺悔をしている主人公の声を背景に、画面自体はトイレで知り合った男に尺八をしている主人公が描かれる(無論暗示)。デイヴィスはカトリック教徒として育てられているが、自分を責める(というか宗教によって責められているとデイヴィスが一方的に感じているのだが)ばかりで慰めを与えてくれない宗教にいつか絶望し、棄教しているようであり、この場面にはその葛藤、また宗教への強いアイロニー(という以上に挑発)が感じられる(ただし分かり易過ぎるようには思う)。

『死と変容』男の指をなめる主人公

『死と変容』未来における自身の死
『死と変容』では、母の死と、デイヴィス自身の死が描かれる。クリスマスの日、老人ホームに収容された男(最初は主人公=デイヴィスとは分からない)が、少年時代の記憶を思い起こす。少年期の記憶は、オフで少年期の彼の声がふと聞こえる、という形で、あるいは老人ホームで眠る彼の映像からトラヴェリングして、看護婦が飾り付けるクリスマス・ツリー、眠る少年、再び眠る老人へ(この間子供たちの歌う聖歌が流れている)、と、カメラの移動を介して喚起される。音声や音楽、ゆったりとした(官能的ですらある)トラヴェリングが、時空を横断し、過去でも今でも未来でもない、あるいはそのどれでもあるような曖昧な時空を作り上げる。デイヴィスはこうした技法を以後の長編で徹底的に駆使してゆく。『トリロジー』のDVD小冊子には、デレク・ジャーマンが「思い返された過去は、常に同時代なのだ」という言葉を寄せているが、確かにデイヴィスの映画の中で、過去は常に現在と同じ比重で現前している。ちなみにデレク・ジャーマンもゲイであることを公言した映画作家だった。

製作事情を書いておこう。デイヴィスはしばらくリヴァプールで働いた後、コヴェントリー・ドラマ・スクールに入学、そこでの学生時代に『子供たち』のシナリオを書いてBFIに送る。ビル・ダグラスを世に出した人物でもあるBFIの製作部のマムーン・ハッサンが資金を出し、製作に至った。『聖母子』はその後入った国立映画学校の卒業製作。『死と変容』は、グレーター・ロンドン・アーツという組織の出資で映画製作が開始され、BFIによって仕上げ、三部作としての配給がなされた。この『トリロジー』を始め、『遠い声、静かな暮らし』、『長い日が終わる』、『時と街について』といった自伝的作品の諸作はすべてBFIによってDVD化されている。