コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 三國連太郎『台風』顛末記 【その3】   Text by 木全公彦
早くも次回作の構想を
『台風』を完成させた三國連太郎は上機嫌で新年を迎えた。
〈カンヌ映画祭に出品するために4月29日に渡仏するほか、ベネチア映画祭など各種の国際コンクールに出品する予定です。劇映画の第2作はガンをテーマにした『死よ、おごるなかれ』で6月に撮影開始、年内いっぱいで完成予定です。台本もこれからの段階ですが、ジョン・ガンサーの同名の小説と宗教学者岸本英夫さんの「闘病記」をもとにしてシナリオ作りをするつもりです。今度はボクが主演をするかもしれないし、また監督をやるかも知れない。その辺はまだ白紙ですが……。〉(「日刊スポーツ」1965年1月1日付)

〈昨年、独立プロを作って自主作品『台風』を製作、監督した三國連太郎は、こんどは東映の映画を監督しようと構想を練っている。その作品は昨年秋「オール讀物」にのった明田鉄男の「月明に飛ぶ」。翻案ものの時代劇。東映の了解をとりつけるのはこれからのようだが、三國の腹案としては仲代達矢を主演にして自分もワキ役で出演する。「武士の社会に疲れた若侍が美しい妻をつれて瀬戸内海の孤島にくるんです。そこで新しい平和な生活をはじめようとするが、妻が下郎と密通する。そこで再び剣をとってふたりを成敗してしまう――という人間くさいドラマなんです」と三國は説明する。原作権もまだ正式に買ってないようだが、映画化の構想は着々とすすんでいる。「主演には仲代達矢君をぜひと思っているんです。彼とは少々つき合いがあるし、なんとかくどいてみようと思って……。そのほかキャストはまだ考えてませんが、わたしも密通する下郎の役をやりたいんです。7人の人間だけが孤島でくり広げるドラマだし、オールロケーションにすれば金はかからないと思います。」(「中日スポーツ」1965年1月11日付)

あきれるほかないタフネスぶりと言おうか、懲りない人と言おうか。しかしながら、ここで三國が「若侍の妻と不義密通をする下郎を自作自演でやりたい」と言ったことに注目したい。『台風』の撮影を通じて燃え上がった三國と志村妙子(=太地喜和子)の不倫愛は、のっぴきならない状態を清算したばかりだったからである。