コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『ある女の影』覚え書き   Text by 木全公彦
吉田喜重の言葉
「大山ディレクターに口説かれて二カ月かかって、構想を練りました。勿論、テレビドラマの書きおろしは初めてでしたが、いつも家でテレビをみていて自分なりに割りだした内容と手法を基本にやってみるつもりです」(「週刊TVガイド」1965年2月5日号)

「テレビは、外にひろがっていくよりも深さを要求されるものなので、内容も内面に食い込んだものをまとめ上げてみた。ここでいいたいのは、いわゆる<日常性>の希薄さで、後半はディスカション・ドラマの形式をとった」(「読売新聞」1965年2月5日朝刊)

「これはTBSの演出家、大山勝美氏のために書かれたテレビドラマである。私が自分で演出しない脚本としては、これが初めてであり、それ以後もない。
テレビドラマについて、私はいくつかの偏見をもっている。同じ映像で表現するものであっても、ブラウン管と映画のスクリーンではまったく違う。いや、テレビドラマは本当に成立するのだろうかという疑問が、私のなかに根強くあるのだ。映画はある一定の時間、観客をとざされた暗い密室に誘いこみ、日常の時間、空間を断ちきったところからはじまるんだが、テレビは違う。日常の感覚はそのまま視聴者のなかに保持され、ブラウン管の外にしか私達の位置はない。その意味ではテレビはあくまで媒体であって、それ自体が表現であることは不可能ではないだろうか。
従ってテレビの本質はニュースであり、ショーであり、ドキュメンタリーであるだろう。
私は『ある女の影』で、意識的にテレビの効用、限界を逆用してみようとした。
岡田茉莉子に女優の役を演じてもらったのも、テレビ的なリアリティをそのままドラマに持ちこもうと考えたからであり、登場する人物達への把握の仕方も、茶の間的な、日常の延長としてとらえられるのを怖れ、つぎつぎ裏切っていくように配慮した。
俳優によって語れる言葉が、どこまで真実であり、真実はどこにもあるはずがないという循環のなかで、視聴者の日常感覚が一見安定していながら、ひとつの虚構にふりまわされ、もろく崩れていくのならば――それはテレビに対する私の批評性でもある。
この放映を私は自宅で見たのだが、終り近く、女主人公の家のベルが鳴る瞬間がある。
偶然、そのベルの音が私の家のそれと音質が似ており、鳴った瞬間、私はなんの抵抗もなく玄関に歩きかけていた。ベルがそこで鳴ることを書いたのは私である。日常感覚はテレビにあっては、決して破壊されることはない」(シネクラブ研究会・吉田喜重特集パンフレット、1969年)