コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 ガミさんの遺言   Text by 木全公彦
ことの次第、あるいは事故のてんまつ
ガミさんに資料を貸し出してから、半年が経ったが、ガミさんからウンともスンとも言ってこない。「映画にする」と言ってもたぶんピンク映画でやろうというのだろう。それじゃ予算も限られているし、絡みも入れて正味1時間枠。そんなんでこんな難しい内容をどう料理するというのだろう。第一、ノンフィクションでやろうとしてるんじゃないのだから、あまり事実に深入りし拘泥しなくてもいいんじゃないか。他人事ながら心配になった。大島渚が健在であるなら、低予算であってもそれを逆手にとってそれこそ『絞死刑』のような笑劇に仕上げることはできるかもしれないが、今のピンク映画の枠でやるには、題材が大きすぎやしないか。そんな心配もあった。

そこでガミさんに連絡をとって、笹塚のガミさんが住んでいたあたりの近くの喫茶店で会うことになった。ガミさんは頭をかきながら現れた。
「どうですか、その後」
と訊ねると、
「いや~、煮詰まっていますわ」
と言って、しょぼしょぼした目をこする。
「いや、梅沢薫のことは若い頃からよく知っているんだ。劇団が一緒だったからね。NBKっていう。ほら、あんた、『恐怖のミイラ』のことを聞いただろ。あれは宣弘社のテレビ映画だね。その頃、宣弘社の監督で、船床定男っていうのがいたんだ。『怪傑ハリマオ』(60)とか『隠密剣士』(62)とか知ってる? ああ、見てたんだ。そうかそうか。あれを監督していたのが船床定男。伊藤大輔や加藤泰の弟子だって?
そうかも知れねえな、時代劇の助監督をしていたとか言ってたからね」
船床定男は、加藤泰、若杉光夫らの大映京都レッドパージ組がいっとき作っていた劇団“こうもり座”で演出助手をやっていた。その後、加藤泰にくっ付いていって、宝プロに入って加藤泰の助監督になる。それ以降は、新東宝で伊藤大輔に就く。フリーで東宝の助監督をしたのち、宣弘社で多くのテレビ映画を監督する。映画作品は『隠密剣士』(64)『続隠密剣士』(64)『ワタリ』(67)の3本。
「さすが詳しいね。その船床さんが宣弘社でテレビ映画を作っているときに梅沢薫は最初役者として出演していたんだ。俺もそんとき出ていた。もしかしから、あなたの言ってた『恐怖のミイラ』にも梅沢薫は役者で出てたかもしれん。それで梅沢薫は宣弘社で働いていたときだな、船床さんを通して若松孝二と知り合った。若松さんもその頃はテレビ映画の制作進行みたいなことをやっていたから。それでピンク映画をやることになった。若松さんの助監督だったんだ、ヤツは。デビューはお姐ちゃんのところ。国映だった」
『十代の呻吟(うめき)』のことだ。
「お姐ちゃんの最初のプロデュース作品じゃなかったかな。そのあとは向井寛のところ、獅子プロだな。若松さんとはケンカしたんじゃなかったかな。検察側の証人で出廷したときはびっくりしたよ。みんなもそうだった。裏切り者だとか言ってね。でも、その後も東元薫って名前を変えて監督してたよな。出演している女を見る目つきがいやらしいんだ。娘がいるんだよ、一人娘でずいぶんかわいがっていた。その娘と大して変わらない年の女優をだな、こうじーっといやらしい目つきで眺めるんだ。でもなあ、なんで検察側の証人で出て来たのか。事前にそんなことは言ってなかったんだよ、一言も。そりゃ変だとは思ったさ。日活ロマンポルノは監督とプロデューサーがアゲられたのに、ピンク映画はチューさん(代々木忠)だけでしょ。監督にはお咎めなしなんかありえない。なんかあったなと思ったよ、みんな。チューさん? 聞いてない。腹ワタ煮えくり返ったんじゃないの、そりゃね。でも話したがらないね。こっちも聞いてない」

それから1時間ほど話したが、録音機を持っていったわけではないので、あとは何を話したか今となっては忘れてしまった。喫茶店を出ていくガミさんはまだ60歳だったが、背中を丸め、まるで老人のようだった。ただそれからしばらくしてアテナ映像にいる知人から、ガミさんからお前に渡してくれと頼まれたという連絡があって、ガミさんに貸した本を預かっているという。取りにいくと、ガミさんは「やっぱり難しいわ。手に負えん」という伝言をしていったという。そして昨年、代々木忠と彼が開拓したAVの歴史をつづったドキュメンタリー『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(2011、石岡正人)が公開されたが、その中で代々木忠は日活ポルノ裁判のときの苦衷を語りはしたが、自分を裏切ったともとれる梅沢薫にはついては一言もしゃべることはなかった。

そしてガミさんは、2009年、日本でも公開された西田敏行主演のハリウッド映画『ラーメンガール』(08、ロバート・アラン・アッカーマン)にも出演し、闘病生活を送りながら、俳優業も司会業も続け、久保新二の生前葬(2011年)にも二次会まで足をひきずりながら行ったと聞いた。
久保新二の半生を虚実ミックスして描いたピンク映画『その男、エロにつき アデュー~!
久保新二伝』(2010、池島ゆたか)にも顔を出していた。ガミさんこと野上正義は、2010年12月22日午前0時12分、心不全のため死去。享年70。最後まで酒が好きで、みんなとワイワイ騒ぐのが好きだった。ガミさんが梅沢薫のとった行為を素材にして、どんな構想で、どんな映画を撮ろうと思っていたか、最後まで聞く機会はなかった。今、思うとそれだけが残念である。