コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 ガミさんの遺言   Text by 木全公彦
ガミさんと飲む
ガミさんと最初に話したのはいつのことだったか。ピンク映画など低予算映画の録音スタジオとして使われる四谷のシネキャビンにおじゃましたとき、すでに録音を終えて、飲み会になっている席で話したのが最初だった気がする。その席には林由美香もいた。ガミさんはすでに気持ちよく酩酊していたが、私が
「ガミさんはその昔、『恐怖のミイラ』ってテレビに出演されてましたよね?」
と質問すると、
「出たね。新聞記者役だったか」
と気持ちよさそうに答えた。ガミさんは酒を飲むと饒舌である。
『恐怖のミイラ』はNTVで1961年に放映された全14回のテレビドラマのことである。リアルタイムで見ているはずはないので、たぶん再放送で見たのだろう。

『恐怖のミイラ』オープニング
古代エジプトの研究者・板野博士(佐々木孝丸)がこっそりと持ち帰ったミイラ・ラムセス(バブ・ストリックランド)が蘇生し、研究者を殺して町へ逃走する。ミイラは町をさまよい次々と人を殺して歩く。ミイラは人間になることができる秘薬を目の前にしながら人間になることを拒んで死んで溶けて灰になる。その哀れな姿に子供心にも不条理を感じた。日本ドラマ史上の初めての本格的ホラーであり、おどろおどろしい音楽にのって夜の町を徘徊するミイラ男を映し出すアヴァンタイトルの強烈さとともに、そのあまりの怖さに、夜、トイレに行けなくなったトラウマドラマの一本である。なお、映画ファンとしては、倒産した新東宝の俳優が大勢出演していることでも貴重。

もちろんそのドラマにガミさんが出演していることを知ったのはもっとあと、ビデオの時代になって『恐怖のミイラ』の短縮総集篇を見たときに気がついて、「あっ」と思ったのである。
「あの頃は宣弘社の仕事もずいぶんやったね。それから『事件記者』とか『特別機動捜査隊』とかも出たね。えくらん社がやった『海の野郎ども』に出た。松本さんに呼ばれてね」
と焼酎の入ったコップを傾けながらガミさんがしゃべる。
「松本さんというのは、元松竹京都のプロデューサーの松本常保ですね。長谷川一夫顔斬り事件に連座した人で、いっとき清水宏のスポンサーだった……」
「そうそう。おい、ちょっとお前、何をコソコソ書いている!」
ガミさんは私が割り箸の袋に話をメモしているのを見咎めて、突然険しい顔つきになってツッコミを入れる。
「お前ね、俺の話を聞きたいなら、鈴木義昭がまとめてくれた『ちんこんか』を読めよ」
「はい、それは持っています」
「それを読めば、全部書いてある」
「でも、『恐怖のミイラ』のことは書いてなかったし」
――などと会話を交わしたのが最初だったように思う。

笹塚の佐助での話に戻る。久保ちんからお姐さんに、さらにお姐さんからガミさんにいう形で、私の隣の席に座ったガミさん。
「その川喜多というところにはキネマ旬報は全部あるのかね」
と訊く。
「開架式だから自分で棚から取り出して読むことができますけど。コピーは高いですよ。1枚100円とかですから」
「えっ! そんなにとるのかよ。どっかもっと安いところないのか」
「それなら国会図書館とか早稲田の演博とか大谷図書館とかありますけど、閉架式だから読むために申請しなくちゃいけないので慣れないと面倒ではありますね」
「そりゃ面倒だなあ」
「何を調べるんですか」
「ほら、斎藤正治が連載していた『日活ポルノ裁判ルポ』ってのがあったろ。あれを読みたいんだ」
「それならのちに単行本になっているのを、僕が持っていますから貸しましょうか」
ということになった。
「そうか、それはありがたい。着払いでいいからそれを送ってくれないか。ほかにも日活ロマンポルノ裁判の資料があれば。頼んだよ」
とガミさんは言った。それを聞いて、待ちかねたようにお姐さんが
「話はちゃんとついたかい」
と声をかけると、ガミさんは満足そうに頷き、さらにコップの焼酎をあおった。

佐助での打ち上げがお開きになったとき、店の外に出ると、久保ちんがそばに寄ってきて、
「ガミさんのこと頼んだよ、いろいろ本や資料を貸してやってくれ。知恵も貸してやってくれ。よろしくな」
と言って、肩をぽんぽん叩いた。私は本当にそんなことやるのかいな、やれるのかいな、と思った。