コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 駅弁才女と呼ばれたマルチタレント   Text by 木全公彦
東日本大震災で甚大な被害を出した岩手県大槌町の沖合にある蓬莱島は、井上ひさし原作のNHKドラマ『ひょっこりひょうたん島』のモデルとされる。未曾有の津波の襲来で、陸と島を結ぶ防波堤は流され、島にあった弁財天の鳥居と灯台が破壊された。でも、毎年、恒例になった4月29日の「ひょうたん島祭り」は今年も開かれたそうである。

サユリスト、コマキストをしのいだチナチスト
そんな話を聞くと、思わず『ひょっこりひょうたん島』のテーマソングを口ずさんでみたくなる。

♪苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め

改めていうまでもないが、『ひょっこりひょうたん島』は1964年4月6日から始まり、1969年4月4日までNHK総合テレビで放映された人形劇である。1967年夏の東映まんが祭りでもオリジナル・アニメ版が公開され(ソフト化されておらず、珍品らしい)、当然それも見に行くほど好きだった番組というか、就学児童年齢に達したばかりの子供たちにとっては、ずっと小学校高学年に至るまで空気にみたいになくてはならない当たり前のものとして存在した番組だった。
ドラマに登場するユニークなキャラクターは、どれも好きだったけれども、とくに「ドン・ガバチョ」と「ハカセ」がお気に入りだった。前者の声を担当していたのは藤村有弘で、今でもそんときのガバチョの口癖や得意にしていた唄を諳んじることができる。そして後者の声を担当していたのがテコこと中山千夏であった。


それから当方がもうちょっと分別がつく年頃になる時分では、中山千夏は1968年から「お昼のワイドショー」の司会を務める青島幸男のアシスタントとして、才気溢れる受け答えと鋭いツッコミでブラウン管の人気を独占する存在になっていた。1969年には歌手として「あなたの心に」(作詞・中山千夏、作曲・都倉俊一)が大ヒット。のちに岩崎宏美や石川ひとみもカバーするこの曲はやはり名曲だと思うが、中山千夏の歌手としての才能も一級品であることを証明した曲として、今でもユーチューブで繰り返し聞いている。



むろん、彼女は女優(声優含む)やタレントが本業で(のち廃業)、ほかにもエッセイ、小説、ルポ、脚本も書き、絵はうまいし(絵本も書いている)、いうまでもなく市民運動家であり、1980年には参議院議員に当選した、多芸多才の元祖マルチタレントである。
 当時の週刊誌のインタビューを読んでいると、受け答えが独特でどれもおもしろく、たとえば「才女ブス 11の才能を持つ不思議なタレント 中山千夏時代がくる!!」(「ヤングレディ」1969年3月24日号)という、今ならセクハラで問題になりそうな見出しを掲げた雑誌では、その多才ぶりと当世の大学生にいかに人気なのかをレポートしている。このとき、中山千夏20歳。またほかの雑誌では、時代は「昔サユリスト、今チナチスト」(「週刊読売」1970年3月6日号)であると書き、「男性週刊誌によれば、彼女は大学生のオナメート(マスターベーションのさい、思い浮かべる女性のこと)1位であり、…某女性週刊誌のテレビ・タレント人気NO.1 は、浅丘ルリ子を抜いて、中山千夏なのである」という報告をしている。この記事を書いたのは、彼女に「駅弁才女」というあだなをつけた竹中労である。

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ちなみに、今や六代目桂文枝といわねばならないが、桂三枝がその昔、「押してもらえます?」とマホービンのCMでやっていた栗原小巻を愛する「コマキスト」と並んで、当時の「現代用語の基礎知識」にチナチストというネーミングの項目があったはずだが、「サユリスト」も「コマキスト」もちーとも理解できなかった私は、小学生の分際で中山千夏に発情していたチナチストだったのである。