映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦   第58回  残暑の松本と「ラプソディ」前編
ラプソディからリズムへ
アルバム(レコード、CD、或いはDVDでも)で聴くことの出来る「ラプソディ・イン・ブルー」の名演は様々あり、既に数枚はあげてあるが今回はさらにもう数枚をそこに加えよう。まず「ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー他/小澤征爾」(EMI)。演奏はベルリン・フィルハーモニー、ピアニストはアレクシス・ワイセンベルクである。1983年6月の録音。小澤がこれ以前にガーシュインを振ったのは1970年、サンフランシスコ交響楽団と共にドイツ・グラモフォンに録音した「パリのアメリカ人」があっただけ、とライナーノーツにある。従って本盤が小澤初の「ラプソディ・イン・ブルー」、そして初のベルリン・フィルとのレコーディングだった。既述の「ヴァルトビューネ」盤もベルリン・フィルだったからマーカス・ロバーツ・トリオ盤が突然に現れたわけではないことが分かる。
一方ワイセンベルクは「1929年ブルガリア、ソフィア出身のフランスのピアニスト」とされるから本来ジャズとの関係はうすいものの、戦後ニューヨークのジュリアード音楽院で学んだともあるからジャズ的な風土を若いうちに体験しているのは間違いない。映画『アメリカ交響楽』“Rhapsody in Blue”(監督:アーヴィング・ラパー、45)くらいはニューヨークで当然リアルタイムで見ているだろうし、ジャズにも関心はあり「ジャズの形式によるソナタ」という自作曲もあるとのこと。カラヤンのフェイバリット・ピアニストとしてベルリン・フィルとの相性は抜群だから、本盤の意義は小澤、ベルリン・フィル、ワイセンベルク三者それぞれにあったと言ってよかろう。自作曲からうかがえるピアニストのジャズへの関心という側面からは、共に収録されている「アイ・ガット・リズム変奏曲」“I Got Rhythm Variations”も聴き逃せない。ガーシュイン作曲でミュージカル「ガール・クレイジー」“Girl Crazy”に用いられた歌曲に基づいたもの。
変奏曲という方法論はもちろんジャズがこの世に生まれるずっと以前からあるわけだが、主題とそのヴァリエーションというのはモダンジャズの最も典型的な演奏形式であり、何となく重なる印象があるせいだ。ジャズにおいてはヴァリエーションがあくまで即興なのに対して、いわゆるクラシックの変奏曲というのはちゃんと譜面に書いてあるその通りに演奏するという違いはある。もっともジャズにしても、テーマが事前に頭にあればヴァリエーションもある程度は事前に頭に当然あるわけで、即興と言っても無から作られるのではないだろうが。
この曲もガーシュインの自演版が残されていて既述のボックスに収録されている。1935年に放送されたラジオ番組からの音源で「皆さん今晩は、ジョージ・ガーシュインです」と始まる。何と本人の解説つき演奏なのである。まあ解説がついてるから偉いというのはガーシュインみたいな人だけではあろうが、それはそれとして自作のイントロから入って自分で様々な変奏を繰り返していくうちにバックにオーケストラが加わるという趣向は作曲家本人ならでは、というだけでなくいかにもジャズの祖形という感想を抱かざるを得ない。もちろん35年にはもうジャズはポピュラーなものになっていて「ラプソディ・イン・ブルー」からでも十年経っているわけだが、ここで言う「祖形としての」ジャズとはこのような「シンフォニック・ジャズ」ではなく、第二次大戦中に起こり戦後初期にあっという間に主流となってしまったビバップ、つまりモダンジャズのことだ。
ビバップの最大の音楽的特徴が単純な主題の提示と複雑なその変奏という演奏スタイルで、その場合の主題として当時のポピュラー音楽がひんぱんに使われ、その中にはガーシュイン作曲になる楽曲も多く含まれることになるのである。このようにジャズメンが主題として用いたり、ジャズ歌手が好んで歌ったりする楽曲を「スタンダード」ナンバーと呼ぶ。「アイ・ガット・リズム」“I Got Rhythm”はそんな一曲である。「スタンダード・ジャズのすべて大事典」とその姉妹篇「ジャズマンが語るジャズ・スタンダード120」(共に小川隆夫著、全音楽譜出版社)をためしにひもとくと「大御所シンガーならたいていの人が『ガーシュイン集』を残しているが、そこでは必ずといっていいほど取り上げられている」とあり、この歌が歌われる推薦盤として「ガーシュイン・ソングブック/クリス・コナー」“Chris Connor Sings Gershwin”(Atlantic)、「シングス・ザ・ガーシュイン・ソングブック/エラ・フィッツジェラルド」“Ella Fitzgerald Sings The George and Ira Gershwin Song Book”(Verve)の名が挙がっている。ピアニストによる盤では「ザ・トリオVol.1/ハンプトン・ホーズ」“Hampton Hawes Trio”(Contemporary)と「プレイズ・ガーシュウィン/山下洋輔」“Plays Gershwin Yosuke Yamashita”(キティ)、それにテディ・ウィルソンのアルバム「アイ・ガット・リズム/テディ・ウィルソン&ヒズ・ピアノ」“I Got Rhythm”(Verve)を小川は推す。
この楽曲ばかりでなく小川の著作には多くのガーシュイン・ナンバーが収められていて、これらガーシュイン楽曲を総括するというテーマも本連載的に十分成立するはずだが、それは今後の課題としよう。その前にここで改めて強調しなければいけないのは、そうした形で多くのジャズマンがガーシュインを取り上げるようになるのが実は彼の死後だという点なのである。つまり、あらかじめそうしたその後の自作の展開を承認していたかのように35年のジョージが戯れに「アイ・ガット・リズム」の主題の変奏を試みているのが面白いのだ。事実ビバップの名曲の一つでチャーリー・パーカー作曲「アンスロポロジー」“Anthropology”はまさしく「アイ・ガット・リズム」のコード進行を使って別の曲に仕立てたもので、アルバム「コンプリート・ロイヤル・ルースト・ライヴ・レコーディングVol.4/チャーリー・パーカー」“The Complete Royal Roost Live Recordings on Savoy Vol.4”他で聴ける。同じような例としてソニー・ロリンズの「オレオ」“Oleo”やセロニアス・モンクの「リズマニング」“Rhythm-a-ning”もこの曲のコード進行をそのまま利用している。前者を「バグス・グルーヴ/マイルス・デイヴィス」“Bag’s Groove”(Prestige)他で、後者は「マリガン・ミーツ・モンク/セロニアス・モンク・アンド・ジェリー・マリガン」“Mulligan Meets Monk”(Riverside)他でそれぞれ聴くことが出来る。
ガーシュインは自分の作った歌がブロードウェイの舞台で歌われたり、ラジオで流れたり、ミュージカル映画で使われたりすることは期待していただろうが、その曲を素材にしてジャズマンが即興演奏を繰り広げたり、ましてや和音のつながりだけを基にして全然別な曲を作り出すような事態が起きるとは想像すら出来なかったに違いない。