映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦   第58回  残暑の松本と「ラプソディ」前編
復活の夏、引退の夏
NHKの衛星放送で去る9月30日午前零時から「小澤征爾復活の夏 サイトウキネンフェスティバル松本2013」という番組が放送されたのをご覧になった方は意外と少なかっただろうと思う。これは音楽番組であると同時に小澤征爾が病癒えて指揮台に復帰する様子に密着したドキュメンタリー番組でもある。時間が時間だしクラシック音楽のプログラムだし、かく言う私自身見逃すところだった。つまり映画ともジャズとも関係なさそうだから。ところが今回のフェスティバルには本連載的にもきわめて注目すべき演目が含まれ、全篇放映されたのである。それが「松本Gig」と題されたプログラムで、指揮小澤征爾、演奏サイトウ・キネン・オーケストラと大西順子トリオによる「ラプソディ・イン・ブルー」“Rhapsody in Blue”の演奏であった。

DVD「ヴァルトビューネ2003ガーシュイン・ナイト」


「考える人」(2013年11月号)
ここで一つ復習しておくと、既にこのコラムの第27回「アンドレ・プレヴィンのジャズ体験その2」でこの楽曲について取り上げている。今回との、より密接な関係でその中から改めて一枚だけDVDを紹介しよう。それは「ヴァルトビューネ2003ガーシュイン・ナイト」(ジェネオン・ユニバーサル・エンターテインメント)。同じく小澤征爾の指揮で「ラプソディ・イン・ブルー」のジャズ寄りの演奏が収められているからだ。「ジャズ寄り」という意味は後述。演奏者はベルリン・フィルハーモニー・オーケストラとマーカス・ロバーツ・トリオであった。この模様もNHKでかつて放映されたことがある。ジョージ・ガーシュイン作曲になる「ラプソディ・イン・ブルー」は初期アメリカ現代音楽の金字塔であり、初演から百年近い時を経てもなおクラシック音楽会での人気レパートリーであり続けている。いやもちろんバッハなりヴィヴァルディなりならば百年二百年じゃきかないし、もっと人気もあるだろうが、ここでは「現代音楽」というのがミソであり、クラシカルな手法とジャズが出会ったというのがポイントである。
まずこの件に関して第27回の時点では入手していなかった、この楽曲のガーシュイン(ピアノ演奏)とポール・ホワイトマン楽団版というのをCDで見つけてあるのでその正式タイトルだけ記しておく。存在は知っていたもののCDはリリースされていないのではないか、と考えていたものだ。タイトル「ジョージ・ガーシュイン」“George Gershwin”(HISTORY)でCD八枚組ボックス。その中に作曲者と依頼者の自演版がちゃんと含まれている。「トランペッツ・オブ・ジェリコ」“Trumpets Of Jerico Ltd.”という会社が作ったボックスセットらしいが1999年に企画されたようだからもちろん前回これを取り上げた時点で世に出ていたのだ。無知というのは恐ろしい。また日本で発売されたアルバムから探せば、このバージョンは「ジョージ・ガーシュイン自作自演」“George Gershwin Plays George Gershwin”(nihon Westminster)というCDに収録されていることも判明した。録音は27年(28年説は誤り)と考えられており、初演から三年後になる。当時のメディア上の制限から収録時間が9分ちょっとということで、要するにかなり短いわけだがそれでも初演のアンサンブルの形を最もよく残していることは間違いない。この一件は第27回に詳しく触れてある。
そこで今回のバージョンに話を進めよう。この共演企画についてのあらましは「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のホームページに「なぜSKOと大西順子が“ラプソディ・イン・ブルー”をやるのか」というコラムで説明されており、また現在発売中の雑誌「考える人」にも同じく村上春樹による署名記事が掲載されている。興味のある方はそちらを読んでください。と言って何も書かないわけにもいかないので、いちおう一言で述べれば「村上春樹が小澤征爾を大西順子の引退興行に連れて行ったと、で、引退させるのが惜しいということで小澤が大西を説得し、とりあえず今夏のフェスにこの楽曲で参加してもらったと、ただし彼女の決意は固く引退撤回という展開にはならなかった」と、こういうことらしい。そのかわり、サイトウ・キネン・フェスティバルが事務局となって大西順子を講師としたジャズの「勉強会」が設立されるようだ。
私は中途半端なジャズ・ファンではあるがジャーナリストでも業界のインサイダーでもないので、大西順子の引退という話を、番組を見るまで知らなかった。というか正確に書いてしまうと彼女が「復活」していたことすら知らなかった。二十世紀の終わり頃、実は彼女は一度引退しており従って今回は復帰を経ての二度目の引退ということになる。何故彼女が引退するのか私は知らないので、この件はこれ以上書きようがない。引退というのが彼女の気持ちの持ちよう一つの問題ならば、いずれ復帰する可能性だってないわけではないだろう。周囲があまり引退ということを騒がない方が良いのではないかと思う。この件はこれでおしまい。今回の楽曲の取り上げ方に触れたい。