映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第50回 ポーランド派映画とジャズ  後編・オラシオさんのリスニングイヴェントに参加して
音楽イヴェント「クシシュトフ・コメダ 二つの顔を持つ男」に参加して
昨年11月のオラシオさんの音楽イヴェントから二カ月も経たずに開かれた今回のイヴェントでは音源をコメダに特化して、映画音楽だけでなく彼のジャズマンとしての仕事など多角的に紹介がなされた。この項では二つのイヴェントの音源をアットランダムに混ぜ合わせ、またそこでは紹介されなかったものにも随時触れておきたい。
コメダによる楽曲で最もよく知られるのは映画『ローズマリーの赤ちゃん』“Rosemary’s Baby”(監督ロマン・ポランスキー、68)のテーマ音楽だろう。タイトルはもちろん「『ローズマリーの赤ちゃん』(のテーマ)」“Theme from Rosemary’s Baby”だが、「スリープ・セーフ・アンド・ウォーム」“Sleep Safe and Warm”、あるいは「ローズマリーの赤ちゃんの子守唄」“Lullaby of Rosemary’s Baby”となっていることも多い。メロディは全部一緒。サントラ盤は「ハルキット・レコード“Harkit Records”」からリリースされているが、日本盤があるかどうかは分からない。自分で調べてください。
この曲は映画でも冒頭から女声スキャット・ヴォーカルで流れ、ゆったりとした旋律のふくよかさを味わえると同時にどこか不穏な表情をも感じさせる。実はこれを歌っているのが主演のミア・ファローであり、シングル盤はビルボードのヒット・チャートで11位まで上がったとのこと。映画の主な舞台となるのは「バムフォード」という名の古いマンションだが、ロケーション撮影に使用されたのはマンハッタンのアッパー・ウェスト・サイドにある「ダコタ・ビルディング」だった。この名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるであろう。ジョン・レノンが居住していて、狂信的なファンに射殺されたのがこのマンションの玄関前である。
因縁話になるけれども、シャロン・テートが新興宗教教団のリーダー、チャールズ・マンソンに率いられた一味に虐殺された際、彼らはこの殺人儀式を「ヘルター・スケルター」“Helter Skelter”と名付けた。言うまでもない。いわゆる「ホワイト・アルバム」の名で知られるビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ」“The Beatles”(EMI)に収録されたナンバーのことだ。勝手にタイトルを使われてビートルズには大迷惑だが、使われてしまってはどうしようもない。もっともこれは「大混乱」とか「しっちゃかめっちゃか」という意味の普通名詞だから、もともとビートルズに罪はない。昨年公開されて話題を呼んだ映画『ヘルター・スケルター』(監督蜷川実花)もビートルズの楽曲とは無関係だった。原作コミックのタイトルの由来がこのナンバーという可能性はあるにしても。シャロン・テートはノークレジットで映画のパーティー場面に出演しているそうなので、興味のある方はチェックしてください。ハリウッドの自宅で彼女が惨殺された時、彼女は妊娠中の身の上だったと言われている。このあたりのトリヴィアはサントラ盤からの情報による。正月のイヴェントでかかったのは多分このサントラ・ヴァージョンだと思う。
さて、11月イヴェントでかかったのはミラ・オパリンスカ(ピアノ)とダグラス・ウェイツ(ベース)のデュオ・ヴァージョンでアルバム「リュミエール」“Lumiere”(Czese!)に収録されている。不思議なレーベル名だが「チェシチ!」と読む。オラシオさんが主宰、監修するポーランド・ジャズ専門レーベル、その第一弾である。アルバム・タイトルはフランス語で「光り」の意味になるがフランスにおける映画の発明者リュミエール兄弟にひっかけてあるのは明白だ。映画音楽のジャズ化が本作のコンセプトなのである。他に『ニュー・シネマ・パラダイス』、『水の中のナイフ』、『利休』等も含まれており、本コラム的にも注目作というべし。ただこのあたりの話にこだわり始めるときりがないので今回はタイトルのみにしておく。もう一ヴァージョン『ローズマリーの赤ちゃん』で、これはアルバム「ブリージング・スペース」“Breathing Space More…”からのものがかけられた。演奏者はユリア・サヴィツカ・プロジェクトであった。タイトルも正式にはポーランド語で「ローズマリーの子守唄」“Kolysanka Rosemary”となっている。正確なイヴェントのセット・リストはオラシオ・ブログをご覧ください。
こうなると『ローズマリーの赤ちゃん』のテーマのカヴァー版には他にどんなものがあるか気になるところだが、その件についてもオラシオさんのブログでさらっと述べられていたのでそちらを参照のこと。デューク・ピアソン、ズート・シムス、ファニア・オールスターズまでが演奏しているとのことで大いにそそられる。本コラムはここまで映画史的なテーマに沿って記述してきたが、同じ一楽曲の様々なヴァージョン聴き比べ、といったコンセプトもありかな、と思ったりする。ジャズというのはそれが出来るから面白い。もちろんポップスでも歌謡曲でもクラシックでもそういうことはありだろうが、ジャズの場合には演奏者による「ヴァージョン解釈」自体が音楽的な最大のキモとなっている。まあそれは今後の課題としておきたい。一度実験的にやってみるのも良いかな。

オラシオさんのブログで紹介されている『ローズマリーの赤ちゃん』カヴァーは当然ジャズに絞ってあるわけだが、実はポップスの世界でもこの楽曲はよく知られている。ミア・ファローの本命サントラ盤がビルボードで11位まで上がったことは記しておいたが、少なくとももう一枚カヴァー盤が存在するからだ。70年代まではこんな風に、大ヒット映画のサントラからの楽曲がいくつかシングル・レコードで競作されることがあった。本作の場合は競作といっても同時リリースではなく一年くらい遅れるとはいえ、A面『青春の光と影』、B面『ローズマリーの赤ちゃん』のドーナツ盤というのがちゃんと出ている。歌っているのはクロディーヌ・ロンジェ。
実は私の世代ではこの歌はロンジェのヴァージョンが一番有名だと思う。「クロディーヌ・ロンジェって誰?」と問われた場合、ちょっと前まではアンディ・ウィリアムスの(元)奥さん、と言えば「ああ、あの人!」と納得されることが多かった。一緒にテレビ番組「アンディ・ウィリアムス・ショー」に時々出てきたからね。しかし21世紀も十数年を経過した今、彼女のウィスパリング・ヴォイスによるヴォーカルは「A&M」レーベルの歌姫のアイデンティティとして、元旦那さんよりも人気を博しているようだ。ただ収録アルバムをリサーチしたところ出てこない。実は彼女のオリジナル・アルバムには当時収録されなかったらしい。シングル盤だけだったのか。現在ではコンピレーション・アルバム「クロディーヌ・ロンジェ A&Mデジタル・リマスター版ベスト」“Claudine Longet”(A&M)にちゃんと入っているので容易に聴ける。これもミアの本命盤と同じくらい素晴らしい。旋律自体魅力的だが、特に注目すべきなのがニック・デカロのアレンジだ。

多分彼がこの楽曲に目をつけたに違いない、と思えるのは彼の初期ソロ・アルバム「ハッピー・ハート」“Happy Heart”(A&M)でちゃんとインストでこれを演奏しているのである。念のために記しておくとデカロというのは「イタリアン・グラフィティ」“Italian Graffiti”(Blue Thumb)で日本でも有名なあの人のこと。AOR中興の祖と呼ばれるデカロさんだが、裏方の分野ではクリス・モンテスやロンジェのアルバムのアレンジャーとして最高の仕事をしている。最後に『ローズマリーの赤ちゃん』を巡る「血なまぐさい」因縁話をもう一つだけつけ加えると、クロディーヌ・ロンジェはアンディ・ウィリアムスと別れた後、同棲中だった新しい恋人を多分別れ話のもつれ(とコカイン摂取の中毒症状)で射殺してしまう。優秀な弁護士のおかげでほとんど無罪同然ですんだわけだが、高額の弁護費用をねん出したのは元旦那アンディさんであったと言う。

二回にわたるオラシオさんの音楽イヴェントのコンセプトを一言でまとめるならば「コメダとアラウンド・コメダ(その周辺)」ということになるだろう。「アラウンド」とは「コメダの音楽家としての様々な顔」という意味と「コメダ人脈」という二つの意味を持つ。映画音楽家としてのコメダは『水の中のナイフ』(62)や『袋小路』(66)等でポランスキーに、『バリエラ』(66)等でスコリモフスキに、また『夜の終りに』(60)でワイダに音楽を提供する。これらの音源は比較的正統派ジャズ寄り、つまりアメリカ東海岸モダン・ジャズ的な傾向を示すのだが、一方ポーランド国内で舞台化された『ティファニーで朝食を』(つまりヘンリー・マンシーニの音楽とは無関係)につけた音楽ではいかにも東欧的、暗くてロマンティシズム濃厚なジャズ音楽を、さらにイエジー・ホフマン監督『法と拳』(64)には「西部劇」テイストの音源を提供、という万能メロディ・メーカーぶりを発揮する。ジャズマンとしてはコメダ・クインテットを率いて「アスティグマティック」“Astigmatic”という名盤を発表。マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」“Kind of Blue”(Columbia)のような影響力を東欧圏において今も持っているという。

また人脈でコメダをたどるなら、同時期にポーランドでやはりジャズと映画音楽を同時にこなしていたアンジェイ・トゥシャスコフスキ、アンジェイ・クルィレヴィチとの類縁性もさることながら、むしろコメダ以降のジャズマン、映画音楽家、クラシック(現代音楽)ピアニストに彼が与え続けている影響力をこそ「聴いて」もらいたい、という。とりわけ顕著なのはコメダのグループに在籍経験を持つトマシュ・スタンコで、彼もまたECMからジャズ・アルバムを発表する傍ら映画音楽家としても活躍している。こうした「ジャズ=クラシック=映画音楽」というコメダ的な伝統は『ネバーランド』“Finding Neverland”(監督マーク・フォースター、2004)でアカデミー賞を受賞したヤン・カチュマレクにまで流れているとのことであった。
そうしたコメダ以降のピアニストの中で一枚、ミハウ・ヴルブレフスキ・トリオの「アイ・リメンバー」“I Remember”(Czesc!)を推奨して今回のコラムを終えたいと思う。このアルバムは先に述べた「チェシチ!」レコーズの第二弾なのである。