映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第46回 60年代日本映画からジャズを聴く その7
アレンジャー八木正生の映画音楽集とスタンダード集をちらっとだけ
武満と八木の「分裂症」的音楽『日本脱出』
さて武満徹の音楽担当作品『日本脱出』(吉田喜重監督、64)に八木が協力しているという話題だった。この協力関係は八木がメインの曲を提供した『涙を、獅子のたて髪に』(篠田正浩監督、62)と逆になっているという証言も当事者によって残されている。本コラムの主題は八木であり、従って武満の映画音楽については限定的にしか語らないつもりだが、この『日本脱出』は八木に与えた影響を見る上でも興味深い作品である。『涙を、獅子のたて髪に』では八木のロカビリー的な感受性を武満が期待していた(つまり必ずしもジャズを前面に押し出したのではない)のに対して、本作(と後述する幾つかの作品)では武満のミュージック・コンクレート的なテクニックやテープ音楽(磁気テープに録音された音素材を使用する作品)の方法論を八木が吸収することになるからだ。

映画音楽はやはり音楽だけを取り出して聴いてもダメで、作品の中でどのようにそれが活かされているかが重要だ。そういう意味では今度、シネマヴェーラ渋谷の「篠田正浩監督特集」で『涙を、獅子のたて髪に』が上映されることになっているのが嬉しい。一方、『日本脱出』に関しては既にDVDが流通している。ただし、喜劇にもアクション映画にもなり切れなかった中途半端な作品、という否定的な評価(吉田自身がそう感じている)が一般的だし、何よりラストが監督に無断でカットされてしまったことで知られる映画だ。この件を契機に監督は「十年いた松竹を離れた」。もちろん、ここに形成されるはずだった「アクション」とは会社側の期待するジャンル映画としての「アクション映画」の地平とまた別な次元での話で、吉田自身の言葉で規定するならば「アクション・メタフィジーク」つまり「全てを色彩、動きのリズムに還元し、単純化するなかで、内面の空洞化を拡大しようと」する形而上的「アクション」映画ということになる。もっと分かりやすくまとめれば、タイトルに述べられたそのままの、閉塞された「ここ」からの「脱出」というベクトルが「アクション」に違いあるまい。

だが吉田自身、そうしたベクトルをどのような条件下においても信じているとは思えないわけで、案の定、主人公は外国船を眼の前にして貨物と一緒に網で吊り下げられる結末である。

結末が切られたということは、もっと違った結末が本来ならば展開されるはずだったのだろう。しかし吉田は記す。「私は企業に踏みとどまれるのも、このあたりまでだなと思った。いつか企業から出ることは分かっていたのだが、その時期が来たとき、私には早くもなく、遅くもないように感じられた」。こういう感じ方もまたいかにも『日本脱出』的だ。つまり監督が「脱出」映画に失敗することで逆に「脱出」を促し成功させているというあり方において。そう書くと失敗は成功のもと、みたいだが実は逆で、成功が失敗の母であるかのようなあり方とも見える。ともあれ、アクシデントが予定調和と等価であるような状況を提示して『日本脱出』は終わる。

そこにつけられた映画音楽のコンセプトは一言で言うなら「分裂」だと思う。武満によるジャズの映画への導入は分かりやすいところでは59年の『危険旅行』(中村登監督)における主題曲のビッグバンドがあるが、細かく検討していくと57年の『土砂降り』(中村登監督)あたりから意図的に使用しているのが分かる。最初期の『狂った果実』(中平康監督、56)からその傾向はあったとしても良い。だからジャズ自体はこの時点で既に、武満にとって特に斬新な手法ではなくなっている。けれども冒頭に聴かれる現代音楽的なアプローチと最後の方に流れるビッグバンド・ジャズとが全く噛み合わない点にここでは注目しなければならない。ジャズ的現代音楽というのもあり、現代音楽的ジャズもあり、それらを武満は効果的に映画に使用することになるのだが、『日本脱出』にあっては現代音楽とジャズは互いにそっぽを向いている。つまり分裂している。しかしそれは映画音楽として失敗ではなく、その不協和故に効果的なのだ。狂騒的なビッグバンド・ジャズは黛敏郎の『若くて、悪くて、凄いこいつら』(中平康監督、62)のイカれた数え唄を思わせるものの、こっちはもっと悪い意味でヤケ、というか「進退きわまった感」を音楽的に演出。その結果、冒頭の現代音楽風主題曲を風刺しているかのような効果を生んでいる。こういうところが面白い。
八木もインタビューで(特に本作に関して言及したのではないが)「ことにジャズっていうのは慣れ合いがひどくなるとつまんなくなっちゃうんですね、ぶつかり合わないと」と語っている。「なんか生命力みたいなものはどんどん薄れていくことが多いですね」とも。「ただ映画に使うジャズっていうのは(略)ですから、もしやるんだとしたらプレイヤー達にワーッとやらしといて、録音したテープの部分を抜いてフィルムにはり付けるみたいな、そういう方が面白いもんが出来るんじゃないか」。八木が武満から受けた影響とはこういうスタンスのことだと思う。「ジャズの人が一時はいろんな映画に書いたけれども、まずかったのはやっぱり全体の中での音楽の配分みたいなことを考えなかったんですよね。画面にはひじょうに合った音楽書いているんだけどもトータルにするとなんだかよく解らないみたいな映画が多かったですね」。