映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第38回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ   その4 『アメリカの影』の映画史的位置その他
『影』から生まれたアルバム二枚
ここで『アメリカの影』に端を発するミンガス関連アルバムを紹介しておこう。最も有名なのは「ミンガスAh Um」“Mingus Ah Um”(Sony)に収録された「三色の自画像」“Self-Portrait in Three Colors”だ。映画のテーマ曲を再アレンジしたものとちゃんとライナーノーツに書かれている。この件は後述する。ミンガスは、実はもう一枚、『アメリカの影』の音楽をアレンジし直してアルバム化している。収録時間が短すぎるために単独でCD化されていないが、他のアルバムにボーナス・トラック扱いで入れてあるからかえってお得。日本盤は出ていないようだ。タイトル「ミンガス・リヴィジテッド」“Mingus Revisited”(Essential Jazz Classics)。その後半部四曲が問題のアルバムで、タイトルは「ジャズ・ポートレイト ミンガス・イン・ワンダーランド」“Jazz Portraits Mingus in Wonderland”である。その内の二曲が映画用に作曲されたもの。これもライナーノーツをかいつまんで読んでみよう。

このアルバムはロウワー・セカンド・アヴェニューのノナゴン・アート・ギャラリーで1959年1月16日に開かれたチャールズ・ミンガス・ジャズ・ワークショップによるコンサートの一部である。ノナゴンでのコンサート・シリーズは現代音楽家アーロン・コープランドやヴァージル・トムソンも参加しているし、ジャズの分野ではMJQ、セシル・テイラー、トニー・スコット、マル・ウォルドロンをフィーチャーしている。ミンガスと彼のグループによる音楽はスタジオでセッティングされた通常の録音よりも、ライヴでのものの方が優れている、それこそがミンガス感覚なのである。ミンガスによる見事な達成は、ほとんどトランス(忘我、恍惚)のような興奮熱狂を創り出す彼の能力にあり、ジャズにおいてもそれ以外の分野の音楽においても比類ないものだ。プログラムは「タイムズ・スクエアのノスタルジア」“Nostalgia in Times Square”から始まる。ミンガスが『アメリカの影』のために書いたスコアの一部である。このジョン・カサヴェテスによる映画は、多くの即興を含んでいる点で極めて珍しいものだ。俳優の台詞や動きにおける即興。このスコアは緊張感を反映し投射しなければいけない。これはまた、映画を見ているか否かを問わず、タイムズ・スクエアのナイトライフのいわばスケッチの一種と意図されている。時に醜く、しかし時に抗いがたい。「言い出しかねて」“I Can’t Get Started”についてはミンガスはこう言っている。「この歌は好きな歌で、自分にしっくり来るように演奏できるんだ。いつも違った具合に演奏できるのだが、今回のはベストの出来じゃないかな」。「不労所得無しブルース」“No Private Income Blues”はジョン・ハンディとブッカー・アーヴィンの間での最後の小節交換まで強度を増していく。「アリスの不思議な国」“Alice’s Wonderland”(副題は「ダイアン」)はやはり『アメリカの影』からのスコア、少なくともそのような意図を持っていたスコア。だが様々な理由により映画に取り入れられることはなかった。しかしながらミンガスは、この音楽をラヴシーンで演奏されるようなつもりで書き、結局彼自身のために書き続けることにしたのだった。彼は感じている、「これは多分私が書いた最も可憐な曲ではないか」と。とりわけ、これは肖像画だと彼は言う。「私がそうであったように、この巨大で粗野な世界において、何とか成功しようともがいている女の肖像画なんだ。私は(高音部のアルト・サックスで)彼女の悲しみを、しかしまた彼女の芸術における強さ、彼女の信ずる信念の強さを(低音部のテナー・サックスで)表そうとした。例えそれが彼女の人生において未だ解決されていない部分であり、無情なものであったとしても」。

先に記した「ミンガス Ah Um」、ヘンなタイトルだが「アー」とか「ウム」とか呟いているわけではなくて「ミンガス・ミンゴー・ミンガム」“Mingus Mingah Mingum”を端折ったということらしい。それでもヘンなタイトルである。ここに結集したメンバーはライナーノーツによれば「ジョン・ハンディ、ブッカー・アーヴィン、ホレス・パーラン、ダニー・リッチモンドの現ミンガス・グループとウィリー・デニス、ジミー・ネッパー、シャフィ・ハディの過去メンバーが呼び出された」とのこと。ハディがグループのレギュラーだったのは57年から58年秋までだったとも記してある。サントラ用音源には「これら九人」が参加し、当然ハディもその一人に加わっている。アルバムのパーソネルはミンガスを含めても八人だから、不明なメンバーが多分二名(以上)いることになる。カサヴェテスの発言ではフィニアス・ニューボーン・ジュニア(ピアノ)が参加したとされているから、そういうこともあったのだろう。映画のサントラ盤はリリースされなかったので完全なメンバーは不明だがニューボーンの参加は貴重である。
注目したいのは録音データで59年の五月。ということは現在見られる版が公開されるより前になる。映画再撮影は59年春と記されており、しかもニューヨークでのことだから、そうなるとシャフィ・ハディに依頼しなくともミンガスが続けて音源製作すれば良さそうなものだが。このあたりは今となっては解かれ得ない謎である。また「ジャズ・ポートレイト」の音源ライヴが行われたのも59年一月であり、「アリスの不思議な国」が映画に使われなかった理由もわからない。今後もサントラ用の音源が発掘されるようなことはなさそうだから、全ては闇の中である。