映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第29回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その4「ショー・マスト・ゴー・オン」
ジャズ史的「マイ・フェア・レディ」の意義とは
ジャズ・アルバム「マイ・フェア・レディ」の意義を改めて名著「ジャズ・ウェスト・コースト 50年代LAのジャズ・シーン」(ロバート・ゴードン著、上田篤・後藤誠、訳。JICC出版局)から引用しておく。「今ではちょっと信じられないことだが、これが、流行りのブロードウェイ・ショーの曲をジャズ・ヴァージョンに仕上げ、全曲に配したアルバムの第一号だった。そして『マイ・フェア・レディ』のあっという間の成功は、多くの類似企画を生み出すことになった。まもなく、こうした企画は、ある種クリシェとなったのである」。さらに同書には著者のインタビューにより、本アルバム録音時の思い出をマン自身が語った言葉も収録されているので、少し長いが引用しよう。

「ケーニッヒ(レスター・コーニッグのこと。筆者注)が楽器店で買ってきた『マイ・フェア・レディ』のスコアを、アンドレが見てみると、使えるマテリアルがとても多かったので、やってみることにした。もちろん、僕らにピッタリ合うように構成し直してだ。僕らは言った“よし、やってみよう。この楽譜のほかのマテリアルも使ってしまおう”ってね。“おいヒット・レコードを作ろうぜ”なんて言葉は、頭にも浮かばなかった。考えてたのは、古いスタンダードじゃなく新しいショーのレパートリーを使って、今までとは一味違ったいいレコードを作ろうということだけだった。もちろん狙いはうまくいって、会心の出来となった。アンドレは、ハーモニーや作曲の知識にも優れ、じつに素晴らしかった。でも、この録音は、試行錯誤の繰り返しだった。アンドレがちょっと見本演奏を示して“よし、このテンポでいってみよう”って言うだろ、で、全員でやってみる、“こりゃゴキゲンだよ”って結果になることもある。あるいは別の曲で、彼が速いテンポを示したりする、すると僕が“バラードでやってみたらどうだろう”って言ってみたりもした。けれど、あの日、僕らはノッていた。ホントは、一日目に三、四時間やって次の日に終えるつもりだったんだけど、徹夜で仕上げてしまった。午後からスタジオに入って、サンドイッチとおいしいジュースで休みを取って、演奏を始めたら全員調子がいい。で“もっとやろう、こうなったらアルバム一枚分録ってしまえ”ということになったんだ。こうして、あのヒット作は生まれたんだ」。

原盤のライナーノーツにはプロデューサーのレスター・コーニッグがプレヴィンから、ここでのアプローチを聞き出している。
「シェリーとリロイと私がこのアルバムで試みたのは通例ないことだった、つまりミュージカルの総譜まるごとを取り上げるということなんだ。“出来のいいヤツだけ”じゃなくてね。モダン・ジャズのミュージシャンならではの要求に則ってそれを解釈する、それもブロードウェイのキャスト達が舞台に寄せる愛情そのままに演奏する。楽曲に対して故意の歪曲はしない、つまり曲を別なものに変えてしまうような。また気のきいたつもりの小細工もなし。聴いた人が“一体メロディはどこに行ったんだ”と言うようなやり方も一切なし。私たち皆これらの曲を純粋に気に入っており、オリジナルのその素晴らしい譜へ最上の尊敬の念を抱いているものだが、それ故に私たち自身の技巧によってスコア丸ごとを演奏することで、舞台への心からの賛辞としたいのだ」。
さらにこのアルバムのプレヴィン紹介欄には、この録音時点で彼がジャズのみならず、クラシック、ポピュラーそれぞれの分野でピアニストとして高く評価され、しかもMGMの映画音楽家としても既に三回もアカデミー賞候補になったことを伝えている。アート・テイタムを聴くことで、彼はジャズに興味を覚え、ジャズという形式でどんなことが出来るかを悟ったという。ジャズが「最も重要で純粋なアメリカ的芸術形式」だとする彼の確信は、五十年代にバド・パウエルとチャーリー・パーカーを聴いたことで強められたとも。次回はさらに踏み込んでジャズ・ピアニストとしてのプレヴィンの業績を見ていきたい。今回の最後に、前回の修正を。彼の兄スティーブ・プレヴィンというのは無名のディレクターだと書いてしまったが、ディズニー映画『ウィーンの森の物語』“The Waltz King”(63)の監督が彼らしい。だとしたら結構有名な人だ。全く気づかなかった。