映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第29回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その4「ショー・マスト・ゴー・オン」
プレヴィンとオードリーの「蜜月」、ただしジャケのみ…
さて、そこから一足飛びでもう一枚聴いてみたい。というよりまずそのLPレコードを見てみたい。データを読めば、録音はやはりハリウッド、録音時期はおよそ十八年後の1964年4月14、15、21日。タイトルは「マイ・フェア・レディ」“My Fair Lady”(Columbia)である。文字を読んでも音は聴きとれないが、このアルバムの場合ジャケットをまず見てもらうのが音楽の性格を探るのに一番手っ取り早いのだ。「アンドレ・プレヴィンと彼のカルテット」“Andre Previn and His Quartet”と書かれたジャケット部分の下にいるのは紛れもなく本物の大スター、オードリー・ヘップバーンである。一応書いておくと、ピアノにもたれている俳優としか思えない二枚目(後にミア・ファローと結婚してしまう人だからね)が三十四歳のプレヴィン本人。
アルバム自体は歴史に残ったとは言えないかも知れない(CD化も今回が初)が、この表の写真はジャズ史、映画史に燦然と輝く名ジャケットと呼べる。撮影はヘップバーンを撮り続けた名カメラマン、ボブ・ウィロビーだった。彼女のコスチュームと背景の壁紙の雰囲気から察せられるだろうが、このアルバムは映画『マイ・フェア・レディ』からのいわばタイアップ企画アルバムなのである。この録音からほぼ一年後、彼はアカデミー最優秀編曲賞を本作(アルバムでなく映画本編の方)で受賞することになる。ではこちらもジャケットの裏に記載された文章をかいつまんで読んでみよう。書いたのはプレヴィン本人である。

「1956年(略)の後半、私は『マイ・フェア・レディ』のジャズ・ヴァージョンを高名なラーナーとロウの両氏(当時はまだ二人に会ったことがなかった)に認められることを願いながら録音した。すると大変うれしいことに両氏はそれを気に入ってくれ、しかも親切にもそれを口に出してくれた。一年後、私は二人が作詞作曲を担当した映画『恋の手ほどき』の音楽監督となり、彼らと一緒に仕事をして楽しい数カ月を過ごした。それに続いて私はその音楽のジャズ・ヴァージョンを録音し、さらに少ししてから私は彼らのミュージカル『キャメロット』の歌曲を演奏した。それから1963年、ワーナー・ブラザーズが『マイ・フェア・レディ』を映画化すると発表し、私は音楽監督としてそれに関わることになった。そして今、映画『マイ・フェア・レディ』が完成し、私としては二度目となるそのジャズ・ヴァージョンも出来あがった。八年ほど前に始まった円環が完結したことになる。(以下略)」(訳:渡辺正)

極めてわかりやすい。『マイ・フェア・レディ』を巡る円環はこうして完結したわけだが、もちろん、このわかりやすさは「作者」ラーナー&ロウ、「映画音楽家にしてジャズマン」プレヴィン、「作品」『マイ・フェア・レディ』という単純化された三つの要素に集約された「ある物語」としてレコード(当時)の聴取者に提示されているから完結して見えるのだ。今回はこの円環を無視して、要するにジャズマン兼映画音楽家としてのプレヴィンの業績の集大成となった、このジャケットのアルバム「マイ・フェア・レディ」を無視して、今一度、56年のレコーディング現場に立ち返ってみようと思う。