2010年9月に惜しくもこの世を去った映画監督クロード・シャブロル。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ジャック・リヴェットと共にフランスのヌーヴェル・ヴァーグを代表する作家として活躍し54本もの長篇作品を遺しました。ブルジョワ階級の退廃的で屈折したモラルやエキセントリックな犯罪、セクシーな女優たちを描く時、芸術家としての真価を最大限に発揮した彼は、ミステリーやサスペンスの巨匠とも呼ばれ映画史に大きな地位を占めています。日本未公開の作品が数多くあるなかで、アメリカの権威ある映画雑誌Filmcomment誌(2010年11・12月号)の“クロード・シャブロルベスト20”にも選ばれた最晩年期の傑作「引き裂かれた女」はヌーヴェル・ヴァーグを出発点にした映像作家が到達した究極のサスペンス・スリラーです。



20世紀初頭のアメリカで実際に起きた情痴犯罪スタンフォード・ホワイト殺害事件。ミロシュ・フォアマンが映画「ラグタイム」で、リチャード・フライシャーが映画「夢去りぬ」でそれぞれとりあげたこの三面記事的なスキャンダルがヒントになり脚本が書きあげられた本作。性格や年齢の異なる2人の男に愛されたヒロインが思い込みの激しさゆえ、歪んだ恋愛関係に溺れ自分を見失っていく様をスリリングに描いたサスペンス・ラブストーリー。‘80年代のトレンディー・ドラマを思わせる設定をエロティックな心理描写と細部にまで行き届いた演出術でエレガントな恋愛劇に仕立てた技は巨匠シャブロルのお家芸ともいえます。



主演のガブリエル役にフランソワ・オゾン監督作で脚光を浴び今や仏映画界で若手実力派No.1の呼び声が高いリュディヴィーヌ・サニエ(「スイミング・プール」「8人の女たち」)。ヒロインにからむ2人の男を美形の演技派ブノワ・マジメル(「ピアニスト」「王は踊る」)とシャブロルの信頼が厚いベテラン、フランソワ・ベルレアンがそれぞれエキセントリックに演じてドラマを盛り上げています。半世紀以上に渡る映画人生を送ってきた老練なるマエストロの緻密な演出と見事なアンサンブルを奏でる俳優たちの演技は見るものを“不可解な大人の愛の世界”に誘うことでしょう。



女たらしで名高い建築家スタンフォード・ホワイト(1853-1906)は47歳のとき、ブロードウェイのコーラスガールとして舞台に立っていたエヴリン・ネズビット(1884-1967)に目を付け自分の愛人にした。ネズビットは俳優のジョン・バリモア、ポロ選手のジェイムズ・ウォーターベリ、雑誌出版社のロバート・J・コリアーらとも交際し、ピッツパーグの石炭・鉄道王の息子ハリー・ケンドル・ソーと1905年に結婚した。ソーはコカイン中毒者でサディストだった。1906年6月25日ネズビットとソーがマディソン・スクエア・ガーデンの屋上劇場で観劇中、突然ソーが至近距離でホワイトの顔を撃ち、殺した。公判ではソーは心神喪失による無罪を獲得、ビーコンの州立犯罪者精神病院に入れられた。ネズビットはその後、ヴォードヴィルに出演、無声映画の女優を経て、カフェの経営者になった。

スタンフォード・ホワイト殺害事件は、2本の映画で描かれている。ミロシュ・フォアマンの「ラグタイム」(‘81)ではネズビット役にエリザベス・マクガヴァン、ソー役にロバート・ショイ、ホワイト役に作家のノーマン・メイラーが扮した。一方、リチャード・フライシャーの「夢去りぬ」(‘55)ではネズビット役がジョーン・コリンズ、ソー役がファーリー・グレンジャー、ホワイト役がレイ・ミランドだった。